人新世の「資本論」―― 水道が民営化されると、最低限必要な分を超えて水道料金が値上げされる

マーケティングに関わる仕事を20年続けています。マーケティングでは、永い間「人々の生活をより豊かにする」ことを考え、実行してきました。しかし、昨今では人々の豊かさと同等に、世界や地球全体に関わる課題の解決を目指す必要を感じています。つまり、人も環境も良い状態で持続可能(サスティナブル)であることが求められています。

それまでは、人々の欲求(ウォンツ)に耳を傾け、気を配りながら商品開発やプロモーションのお手伝いをしてきましたが、それに加えて、社会課題への目配せ、配慮を行うようになりました。よりパーソナルなウォンツの理解を追求してきましたが、今は全人類で自分事として語るべき「時代のナラティブ」は何なのかを考えています。その大きな道標が、国連で定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」だと思って理解を深めてきました。

しかし、この本『人新世の「資本論」』では、そのSDGsを「現代版大衆のアヘンだ」と言いのけます。時代のナラティブへの理解を深めるために、その背景と、そこで大きなリファレンスとされている経済思想「マルクス思想」を理解しておかないとと感じ、少し時間を割いて、このブログでまとめておきます。

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人新世の「資本論」―― ニーズに関わる資源に関してはコモンズとして扱った方が良いのでは

少なくとも日本では、水は潤沢である。また、生きていくためにあらゆる人が必要とする、「使用価値」が水にはある。だから本来誰のものでもなく、無償であるべきだ。ところが、水はすっかりペットボトルに入った商品として流通するようになった。商品である水は、貨幣で支払いをしないと利用できない希少財に転化しているのだ。水道事業でも同じことが起きている。水道が民営化されると、企業が利益を上げることが目的となるため、システム維持に最低限必要な分を超えて水道料金が値上げされる。

わかりやすく、また、だからこそ恐ろしい具体例です。水道の民営化に危機感を持つ人は多いけど、同時に何も感じていない人も同数、いや、こちらの人の方が多いのではにでしょうか。それは、民営化→資本主義のシステムの下で動くことになる→利益構造になる→利益を上げるための値上げが行われる。という資本主義の構造までなかなか思考がつながらない、理解できないからだと感じます。そもそも、天然資源である水に値段を付けるべきなのか。幼い頃、水がペットボトルで販売されるようになった頃に、水をわざわざ買う人がいるのだろうかと幼心に想ったことを思い出しました。そんなボクも、今は普通にペットボトルの水を買っています。

土地でも水でも、本源的蓄積の前と後を比べてみればわかるように、「使用価値」(有用性) は変わらない。コモンズから私的所有になって変わるのは、希少性なのだ。 希少性の増大が、商品としての「価値」 を増やすのである。その結果、人々は、生活に必要な財を利用する機会を失い、困窮していく。貨幣で計測される「価値」は増えるが、人々はむしろ貧しくなる。いや、「価値」を増やすために、生活の質を意図的に犠牲にするのである。

資本主義の構造によって、何でも「商品」にされてしまうとすれば、商品にとっての最大の武器は「希少性」です。マーケティングにおける市場調査は、その商品が市場にとって希少性があるかどうかを判断する機会が多くあります。しかし、資本主義の構造は、商品にするための希少性を囲い込みによって自ら作り上げてきた歴史です。この本が言う「コモンズ」はその囲いを取り払う考え方です。以前の本書のまとめ記事で、ニーズとウォンツの違いを例に出しました。ニーズに関わる資源に関してはコモンズとして扱った方が良いのではという気持ちになります。

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人新世の「資本論」―― 世界で最も裕福な資本家26人は、世界人口の約半分の総資産と同額の富を独占している 『人新世の「資本論」』では、そのSDGsを「現代版大衆のアヘンだ」と言いのけます。時代のナラティブへの理解を深めるために、その背景と、そこで大きなリファレンスとされている経済思想「マルクス思想」を理解しておかないとと感じ、少し時間を割いて、このブログでまとめておきます。

気候変動が、ビジネスチャンスになるのもそのためだ。気候変動は水、耕作地、住居などの希少性を生み出す。希少性が増えれば、その分だけ、需要が供給を上回り、それが資本にとっては大きな利潤を上げる機会を提供することになる。これが、惨事のショックに便乗して利を得る「気候変動ショック・ドクトリン」である。金儲けだけを考えるなら、人々の生活を犠牲にしてでも、希少性を維持するのは「合理的」でさえある。

ボクの気候変動に対するスタンスは、全人類が自分事(ナラティブ)として考え、取り組み、解決しないとならないこと。だと思っています。そんな時代のナラティブでさえ、資本主義の構造は利を得る機会にしてしまうのでしょうか。ショック・ドクトリンと呼ばれる、惨事便乗型の資本主義への警鐘は理解していたつもりですが、この気候変動に対するアプローチは、その理解を超えて複雑で深淵です。改めて、気候変動対策で、SDGsの17の取り組みによって、どこに何が流れていくのかを考える時間を持ちたいと思いました。

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