マーケティングに関わる仕事を20年続けています。マーケティングでは、永い間「人々の生活をより豊かにする」ことを考え、実行してきました。しかし、昨今では人々の豊かさと同等に、世界や地球全体に関わる課題の解決を目指す必要を感じています。つまり、人も環境も良い状態で持続可能(サスティナブル)であることが求められています。
それまでは、人々の欲求(ウォンツ)に耳を傾け、気を配りながら商品開発やプロモーションのお手伝いをしてきましたが、それに加えて、社会課題への目配せ、配慮を行うようになりました。よりパーソナルなウォンツの理解を追求してきましたが、今は全人類で自分事として語るべき「時代のナラティブ」は何なのかを考えています。その大きな道標が、国連で定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」だと思って理解を深めてきました。
しかし、この本『人新世の「資本論」』では、そのSDGsを「現代版大衆のアヘンだ」と言いのけます。時代のナラティブへの理解を深めるために、その背景と、そこで大きなリファレンスとされている経済思想「マルクス思想」を理解しておかないとと感じ、少し時間を割いて、このブログでまとめておきます。
人新世の「資本論」―― 大洪水よ、我が亡き後に来たれ!
転嫁による外部性の創出とその問題点を、早くも一九世紀半ばに分析していたのが、あのカール・マルクスであった。マルクスはこう強調していた。資本主義は自らの矛盾を別のところへ転嫁し、不可視化する。だが、その転嫁によって、さらに矛盾が深まっていく泥沼化の惨状が必然的に起きるであろうと。資本による転嫁の試みは最終的には破綻する。このことが、資本にとっては克服不可能な限界になると、マルクスは考えていたのである。
我々の生活を右肩上がりに豊かにしてくれ、上手く回っているように感じていた、信じていた資本主義について。実は上手く回っていない部分は外部にその負の部分を転嫁して、見えなくしていた。という不都合な真実をマルクスの言葉を借りながら、本書では突きつけています。そして、その転嫁には3つの方向があると説明します。
第一の転嫁方法は、環境危機を技術発展によって乗り越えようとする方法である。現代農業は、本来の土壌養分の代わりに、別の限りある資源を浪費しているだけなのである。当然、製造過程では、大量の二酸化炭素も発生する。これが、技術的転嫁の本質的な矛盾である。
気候変動をはじめとする環境汚染への対応について、右肩上がりの資本主義を止めることなく、その解消を目指すために、一丁目一番地に語られるのが技術発展による解消です。ボクたちは毎日のように、洋上発電技術、水素、EVの普及など、環境対策につながる技術の発展の進捗を目にします。素直なボクは、そして多くの人たちはそれを信じていると思いますが、もしかしたら信じることでただただ転嫁しているだけだとしたら、とても不安になります。
技術的転嫁に続く、第二の方法が、空間的転嫁である。この点についても、マルクスは、土壌疲弊との関係で考察している。
空間的転嫁、つまり他の地域への転嫁です。自国の環境を汚染するファンクションがあれば、それをそのまま途上国の別の国に置き換えてしまおう。労働力と環境的問題から、生産工場や農地が次々と海外の途上国に移り変わっている様子は目にしています。これ以上そうした転嫁する地域、国がなくなってしまう。そんな危機感は実体として想像しやすい指摘です。
最後の第三の転嫁方法は、時間的なものである。マルクスが扱っているのは森林の過剰伐採だが、現代において時間的転嫁が最もはっきりと現れているのが、気候変動である。将来世代は自らが排出していない二酸化炭素の影響に苦しむことになる。こうした資本家の態度をマルクスは、「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」と皮肉ったのである。
環境問題に対する想像力をもっとも豊かにしてくれる考え方は、自分の子どもや孫たちの世代の地球を考えてみることだと思っています。そうした簡単な想像を排してしまうことが、時間的転嫁だと感じます。マルクスの「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という皮肉は、自分の子孫のことを想うことで解消されるのではないでしょうか。グレタ・トゥーンベリが、世界の若者が憤怒に駆られる原因がこれです。高齢の政治家が批判される点も、きっとこのあたり。北欧を中心に、若い政治的リーダーが増えてきていますが、大きな決断を下す立場の人は、これからより永く地球と付き合っていく人である必要があるのかもしれません。
改めて、後半2つの転嫁は想像力の働かせ方の問題だと思います。世界の裏側にいる人たちの生活に想像力を働かせて、自分の子どもや孫の生活に想像力を働かせ、資本主義や社会課題について、引き続き考えていきます : )
コメント - comments -