マーケティングに関わる仕事を20年続けています。マーケティングでは、永い間「人々の生活をより豊かにする」ことを考え、実行してきました。しかし、昨今では人々の豊かさと同等に、世界や地球全体に関わる課題の解決を目指す必要を感じています。つまり、人も環境も良い状態で持続可能(サスティナブル)であることが求められています。
それまでは、人々の欲求(ウォンツ)に耳を傾け、気を配りながら商品開発やプロモーションのお手伝いをしてきましたが、それに加えて、社会課題への目配せ、配慮を行うようになりました。よりパーソナルなウォンツの理解を追求してきましたが、今は全人類で自分事として語るべき「時代のナラティブ」は何なのかを考えています。その大きな道標が、国連で定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」だと思って理解を深めてきました。
しかし、この本『人新世の「資本論」』では、そのSDGsを「現代版大衆のアヘンだ」と言いのけます。時代のナラティブへの理解を深めるために、その背景と、そこで大きなリファレンスとされている経済思想「マルクス思想」を理解しておかないとと感じ、少し時間を割いて、このブログでまとめておきます。
人新世の「資本論」―― 資本主義の格差問題により、恐慌と失業が起こり、困窮する労働者は革命を起こす
「脱成長」は平等と持続可能性を目指す。それに対して、資本主義の「長期停滞」は、不平等と貧困をもたらす。そして、個人間の競争を激化させる。
気候変動をきっかけに資本主義システムを更新する。そのための行動として「脱成長」を目指すというのが本書のメインテーマ。その脱成長への言及がはじまるこの辺りから、筆者の論調が強くなり、また内容もより興味深くなります。ここでの資本主義との対比について、確かに資本主義は不平等と貧困をもたらしています。それが脱成長を目指すことで、平等と持続可能性がもたらせると説きます。
脱成長を擁護したいなら、資本主義との折衷案では足りず、もっと困難な理論的・実践的課題に取り組まねばならない。歴史の分岐点においては、資本主義そのものに毅然とした態度で挑むべきなのである。労働を抜本的に変革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる。これこそが、新世代の脱成長論である。
資本主義、気候ケインズ主義はほどよく理想的な折衷案である、今までの暮らしを担保しながら、技術力を高めることで気候変動や格差社会などの社会課題に対応する方針で動いています。一方で、脱成長はなかなかに極端です。ここでは、毅然とした態度で挑むべき。と言います。
世間一般でマルクス主義といえば、ソ連や中国の共産党による一党独裁とあらゆる生産手段の国有化というイメージが強い。そのため、時代遅れで、かつ危険なものだと感じる読者も多いだろう。
〈コモン〉は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第三の道」を切り拓く鍵だといっていい。つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することをいう。
確かに、知っているようで知らない「マルクス主義」は、強力な独裁政権による強い管理の社会というイメージがあります。しかし、晩年のマルクスが訴えた「コモン」という考え方をここでは説明しています。多くのものを公共の財として扱うという考え方です。対比として説明しているあらゆるものを商品化する市場原理主義は確かに危うさがあります。以前までは自由に使えていた、土地、木、水などが商品化されてきました。その次は空気だ。なんて言われても非現実的ではないと思えるぐらい。
宇沢弘文の「社会的共通資本」を思い浮かべてもらってもいい。つまり、人々が「豊かな社会」で暮らし、繁栄するためには、一定の条件が満たされなくてはならない。そうした条件が、水や土壌のような自然環境、電力や交通機関といった社会的インフラ、教育や医療といった社会制度である。これらを、社会全体にとって共通の財産として、国家のルールや市場的基準に任せずに、社会的に管理・運営していこうと宇沢は考えたのである。〈コモン〉の発想も同じである。
宇沢弘文の「社会的共通資本」も、このケインズ主義とマルクス主義の一連の対比の中で中身に触れました。社会的インフラを広義に考えること、それ以外の商品には社会的インフラに影響を与える範囲を広く捉えて税金を課すこと。そんな考え方が腹に落ちました。
資本主義の発展とともに多くの労働者たちが資本家たちによって酷く搾取されるようになり、格差が拡大する。資本家たちは競争に駆り立てられて、生産力を上昇させ、ますます多くの商品を生産するようになる。だが、低賃金で搾取されている労働者たちは、それらの商品を買うことができない。そのせいで、最終的には、過剰生産による恐慌が発生してしまう。恐慌による失業のせいでより一層困窮した労働者の大群は団結して立ち上がり、ついに社会主義革命を起こす。労働者たちは解放される。これは、マルクスがエンゲルスと一緒に書いた『共産党宣言』(一八四八年) の内容をものすごく大雑把にまとめたものといえるかもしれない。
書かれている通り大雑把ではありますが、資本主義の崩壊がイメージできる展開です。現社会における格差問題、過剰生産による恐慌と失業、困窮する労働者による社会主義革命の勃発。もしかしたら、現社会でも起きうる展開なのかも。とも思います。気候ケインズ主義によって、それは抑えられるのか。それとも脱成長が必要なのか。引き続き読み進めて考えます : )
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