2020年に公開されたネットフリックス映画の話題作。「Mank マンク」を観ました。
先日は同じくネットフリックス映画で2020年に公開された「シカゴ7裁判」を観ましたが、両作ともに過去をリファレンスして、今の格差・分断社会と民主主義、陰謀論を見つめなおそうとする、時代のナラティブを織り込んだ作品となっています。世界中に「今」届けるべきという作品を流通させることに、やはりストリーミングサービスが適しているからこそ、ネットフリックス映画に注目が集まるのだと実感しています。
さて「マンク」は、監督に「デヴィット・フィンチャー」を迎え、主演は「ゲイリー・オールドマン」が務めます。どちらも、オスカーを受賞、もしくはノミネート経験がある、映画界のビッグネームです。彼らがストリーミング配信映画を選ぶというポップカルチャーの潮流も見逃せません。そして、そうした彼らが選んだテーマも「映画」であることも。
この映画に取り組む前に、今まで観たことがなかった「市民ケーン」も事前課題として観ました。その方が、というかそうじゃないと楽しめない映画でもあると思いますので、これからマンクに取り掛かる人はぜひ、事前に市民ケーンも観てみてください。それでは、マンクを観終えた感想を記録しておきます。大した情報は書けませんが、未見の方は、スポイラー(ネタバレ)情報を含みますのでお気をつけください。
Mank マンク ―― 作品の背景について
格差・分断社会と民主主義、フェイクニュース・陰謀論への言及がマンクの背景にはあります。後に「市民ケーン」でアカデミー賞脚本賞を受賞する映画脚本家の「マンク(ハーマン・J・マンキーウィッツ)」の視点から、1930年代~1940年代はじめの米国の、政治・経済+映画業界について描かれています。特に重点を置かれて語られたのが、1934年に行われたカリフォルニア州知事選の共和党と民主党の争い、双方の候補者の主張と経済界、民衆のリアクションが細やかに描かれています。
そこでは、保守派の共和党とそれを支持する映画界を中心とした経済界の人々。リベラル派の民主党とそれそ支持する貧しい民衆というコントラストが描かれます。僅差で進む選挙戦の中、共和党を支持する映画界ではその形勢を有利に運ぶために、民主党の主張に対して不利に働くフェイクニュース(映画)を作り、民衆を欺きます。その結果、共和党が選挙戦を制するのですが、民主党の候補者だった「シンクレア」は、「フェイクニュースによって敗れた」と敗因を語ります。マンクは映画界に在りながら、民主党を支持する立場をとり、そのふるまいに苦悩する様子が描かれています。
選挙戦と保守・リベラルの戦いを描いたテーマは「シカゴ7裁判」と同様です。この2作品が2020年に米国ネットフリックスで公開されたことに大きな意味があります。中国だけでなく、世界中で非民主主義国家の台頭がはじまっています。先日からの話題では「ミャンマー」の民主主義が脅かされています。そういう状況下においても、米国では民主的な選挙の結果にまだ異議と唱える人たちや指導者がいます。そして、フェイクニュースと陰謀論を鵜呑みに信じる人たちも。この作品を通して歴史に触れ、今どう行動するべきかのリファレンスとするべきだと思います。
Mank マンク ―― 作品のストーリーについて
1940年、「市民ケーン」の脚本執筆のため牧場宿泊施設に缶詰となり、自動車事故による左足骨折のためベッドの上で執筆活動を続けるマンクと、彼が脚本のリファレンスとする回想シーンの2つの場面でストーリーが展開していきます。マンクが自身最高傑作だと言う映画脚本は、1930年代に彼が身を置いた資本主義経済社会と映画界への憎悪と悔恨を表象するものでした。
1930年、マンクは新聞王「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」にその弁舌の鋭さを面白がられ、ハーストが資金援助する映画会社に籍を移すことになります。そこでマンクは、世界恐慌の影響を受け、経営苦に陥る映画会社と、それでも従業員に負担を背負わせつつ、自身は贅沢な生活をおくる経営者の姿を目の当たりにすることになります。同時に、新聞王ハーストの愛人である女優「マリオン」との出会いと、叶わない恋、彼女の不遇もマンクを悩ませ、いら立たせ、以前から依存しがちだったアルコールへの依存を高めていきます。
そんな状況下で迎えた、1934年のアルフォルニア州知事選で、マンクは映画界に身を置くものとして保守派の共和党支持を求められます。その圧力を無視し続け、さらに選挙当日には保守派が集まるパーティで民主党支持を明らかにしてしまったために、立場を危うくしてしまいます。加えて、民主党候補を不利に導くフェイクニュース(映画)を撮影・上映したことを友人である「シェリー」から告白され、またそれによって共和党が選挙戦を制ししてしまったことを悔やみ、自らの命を絶ったシェリーを止められなかったことに、マンクは憤り、不満を募らせていきます。
その憤りが限界に達したとき、マンクは映画界の重鎮と女優、それからハーマンが集うパーティで、アルコールに酔いながら、市民ケーンの脚本の元となる、ハーマンとマリオンを揶揄する映画脚本のストーリーを演説します。それが決定打となり、マンクは映画界のメインストリームから葬られてしまうことになります。
そして、1940年。映画界の恩讐の影響をまだ受けない、若く才能を持った映画監督「オーソン・ウェルズ」からのアサインを受け、その市民ケーンの脚本執筆へと筆をとるのでした。わずか60日で書き上げた脚本は、1942年、アカデミー賞脚本賞を受賞し、今でも語り継がれる名作映画として後世に残るものとなりました。
Mank マンク ―― 撮影と編集について
冒頭で書いた通り、マンクの監督は「セブン」「ファイトクラブ」「ソーシャルネットワーク」のデヴィット・フィンチャーです。左記に挙げた映画はいずれも格差・分断社会をテーマに持つ映画であり、またその壁を壊していく主人公の物語を描いたストーリーです。その狂気をフィンチャーは本当に上手に撮影します。
さて、マンクは全編モノクロ映像で撮影されています。1940年代に作られた市民ケーンで使われた撮影技術を採用しているということですが、あまり印象に残るものではありませんでした。加えて、当時は珍しかったという、現在と回想シーンを交互にパラレルに語っていくという市民ケーンを名作と言わしめた編集方法をマンクでも再現しています。マンクの中で脚本を評価する言葉として「難解すぎる」という表現がありますが、確かに、繰り返し見る環境や背景を検索する術がない1940年代に、こうした編集・展開を理解するのは難しかっただろうと感じました。
しかし、別々に進むストーリーの重なりが見えたときの爽快感はとても気持ちがいいです。加えて、作品の中だけではなく、現代社会とも重なる部分が見えてきて、モノクロ映像の会話劇ではありますが、興奮を感じる映画であり、撮影と編集でした。何度も言いますが、今だから観ておいた方が良い映画です : )
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