すずめの戸締まり ―― 重荷を背負い、懸命に生きる若者に「大丈夫だよ」と言ってくれたのか

新海誠監督作品「すずめの戸締まり」を観ました。劇場は池袋、グランドシネマサンシャインのIMAXレーザー/GTシステムです。

ボクは新海監督、というか「天気の子」の大ファンです。もちろん「君の名は。」も良かったですが。気候変動という大きなテーマを掲げつつ、そこではない、日々の暮らしや未成年であることで苦しむ若者たちが、世界と自分とを天秤にかけて判断をさせるというとても辛い内容でしたが、彼らは最後、世界よりも自分たちを選び、そして「きっと大丈夫」と自分たちに言い聞かせるのです。

真剣に気候変動の問題に取り組む人たちには許されない決断であり、最後の一言でもありました。でも、例えば気候変動の問題を若く小さな背中に背負わされる「グレタ・トゥーンベリ」のような人には「大丈夫」と言って、重たい荷物を下してあげたい気持ちにもなります。無責任な決断だとも言われる天気の子のラストですが、ボクは後者のメッセージ。背負いすぎている若者の重荷を少し軽くできるような、そんな想いをゆっくり内容を消化する中で感じることができました。

さて、すずめの戸締まりもボクの記憶にあるぐらいの時間の中で起こった大災害をテーマにしています。新海監督はボクらになんと言葉をかけているのか、期待しながら観ました。

目次 - post contents -

すずめの戸締まり ―― 作品の背景について

日本で起こった大災害。その記憶や被災した人たちのことを風化させないために。ここは新海監督も話をしていたこの作品の背景です。加えて、もう2つほど感じたことです。一つは自由意志と決定論。東北の大震災の孤児である主人公の「スズメ」は、震災時に母を探しひとり被災地をさまよっていました。とても危険な状況です。そこで一人の女性に声を掛けられます。危険な状況にいたスズメを助けてくれた女性は、高校生になったスズメ本人であったことが映画の最後に明らかになります。大きな災害という決定論と結びつけられてしまう事象の中に、人間の自由意志がどれだけ介在できるのか。そんな問いを感じました。

もう一つ。災害の扉を閉じるという役割を一人で背負い続けている「ソウタ」に対して、やっぱり新海監督は背負いすぎなくても大丈夫と言っている気がします。その役割は「ダイジン」ですね。椅子になるという突飛なハプニングも、それによりスズメが巻き込まれ、そしてスズメが街をめぐるごとに市井の人たちの小さなサポートを繰り返し受けていくという展開のための大切なエッセンスだったと感じます。この作品で一番グっときたのは、エンドロールの背景で流れた、スズメが「タマキ」と一緒にお世話になった人たちにお礼をしながら帰っていく場面です。背負いすぎなくて大丈夫。このメッセージは、天気の子から通底するものだと確信しました。

すずめの戸締まり ―― 作品のストーリーについて

東北の震災孤児であるスズメが本作のナラティブを担います。震災で母親を亡くし、今は叔母のタマキと九州で二人で暮らす高校生です。ある日、スズメが暮らす街にソウタが現れます。道を尋ねられたスズメですが、「どこかで会ったことがある」という心のひっかかりから、先へ進んだソウタを追いかけ、そこで災害を引き起こすミミズを閉じ込めるための要石と扉を見つけてしまいます。そして、スズメが要石を抜いてしまったことでミミズが解き放たれてしまいます。閉じ師であるソウタが要石が抜かれてしまった扉を閉める手伝いをするスズメ。その過程で傷を負ってしまったソウタの手当のためにタマキと住む家にソウタを迎え入れます。

閉じ師の仕事にスズメを関わらせないように、距離を置くソウタでしたが、そこに要石だったダイジンが猫の姿になり現れます。薄汚れてやせ細ったダイジンにミルクを与えるスズメ。その姿を見ながら「うちの子になる?」とスズメは問いかけます。おもむろに人間の言葉で話し始めるダイジン。要石であることに気づいたソウタを、スズメと母親の想いでの品であった椅子に閉じ込めてしまいます。椅子の姿でダイジンを追うソウタ。それを追いかけるスズメ。そこから、椅子となったソウタとスズメのダイジンを追う旅が始まります。

ダイジンを追いながら、彼が行く先々で空かれていく扉を閉める役割に奔走します。日本を縦断する旅の中、スズメとソウタはその地で生きる市井の人たちに助けられ、勇気をもらいながら進みます。そして東京。ソウタが住むその地に至るころ、椅子となったソウタは椅子に記憶が飲み込まれていくことに気が付きはじめます。東京で解き放たれた大きなミミズを収めるために、ソウタは椅子のまま要石になることを決意します。大きなミミズを封印したソウタとスズメでしたが、スズメはソウタを取り戻すために、新たな旅にでかけることを決めます。その目的地は、自らが被災した仙台でした。

ソウタを失ったその旅の道連れは、ソウタの友人である「セリザワ」、そして旅を続けるスズメを心配し、追いかけてきた叔母のタマキ。さらに、途中からダイジンとサダイジンが加わります。旅の途中では、スズメとタマキの本当の家族ではないけれど、12年間をともに過ごしてきた過程で感じ続けてきた葛藤を互いに確認しあう物語が描かれます。要石のように互いに封印し続けてきた想いがここで発露し、そして再び二人の互いを想う気持ちが確認されます。

そうして辿りついた仙台では、スズメが一人扉を開け、常世の世界に入ります。その世界の情景は、スズメが12年前に体験した大震災の日そのままでした。スズメはそこで、ソウタと、そして幼き自分を見つけます。母を探して泣く小さな自分に、スズメは「大丈夫」と伝え、ソウタとともに現世に戻ってきます。宮崎から仙台まで、日本に起こった災害を縦断し、再び収めてきたスズメの旅は仙台で終わりました。

すずめの戸締まり ―― 撮影と編集について

新海監督のシグネチャである、生き生きとした自然・空が本作でも描かれていました。とても美しい空だからこそ、災害の恐ろしさが際立つのが新海作品の特徴であり、また監督がそうしたテーマを描き続ける理由だとも思います。テーマとともに、新海作品の描く美しさの対になっているのが、懸命に生きる人の生々しさだと感じていました。ある側面からすると醜さでもあります。君の名は。のタキにあり、天気の子のホダカにもあった醜さです。すずめの戸締まりを観終えてからしばらくたって、少しの違和感を感じていた正体が、その懸命に生きる人の生々しさが、この作品ではスポイルされてしまっていることだと気が付きました。スズメもソウタも、あまりにも真っ当すぎた。

新海監督は、天気の子で巻き起こった論争を、この作品では再び起こさないように。3つの作品の集大成となるように創作したという話しも耳にしました。重荷を背負わされる若者に、おろしていいよ、大丈夫だよ。と言い、それによって一部からバックラッシュを受けてしまうこと。それが監督の重荷にもなってしまっているのかな。と感じる本作すずめの戸締まりでもありました。なんの力にもなりませんが、ボクは「大丈夫だよ」と言い続けたいなと思った、そのことの気が付けた本作に感じた違和感でもありました。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

sharing is!

この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

コメント - comments -

コメントする

CAPTCHA


目次 - post contents -