花束みたいな恋をした ―― これはきっと、私たちの物語。ってコピーが良く分かる、坂元裕二さんの初映画脚本作品

2021年最初の映画館での映画体験は「花束みたいな恋をした」です。

40代のボクの世代では「東京ラブストーリー」かな。それも含めた数々のヒットTVドラマの脚本を手掛けた「坂本裕二さん」がはじめて映画のために脚本を書いた作品です。本作はそうした話題に加えて、2010年代後半の日本におけるサブカル作家や作品が実名で登場することも話題です。ストーリーも主人公の「麦」と「絹」の2人が出会った2015年から、告白・交際・同棲・別れとそのあとのちょっとした邂逅がある2020年までの5年間が描かれています。

ボクはなかなか邦画ドラマを映画館で観るということは少ないのですが、前述の話題をいつも聴いているポッドキャスト「POPLIFE:Thepodcast」でたっぷり特集を組んで聴かせてもらい、興味を持ったので、恥ずかしながらおっさん一人で映画館に出向き、観てきました。

鑑賞後の感想について記録しておきます。たいしたことは書けませんが、スポイラー(ネタバレ)情報を含みますので、未見の方はお気をつけください。

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花束みたいな恋をした ―― 作品の背景について

花束みたいな恋をした

ボクは映画や映像作品を観るときに、その作品がストーリー以外の部分で何を伝えようとしていたのか。その背景を考えるようにしています。ヒット映画にはきっと社会の空気を表象する、もしくはこれから創っていく、そんなメッセージが込められているはずだ。という視点です。例えば、ワンダーウーマンであれば「女性活躍」とか、鬼滅の刃であれば「継承の物語」とか。そして、本作「花束みたいな恋をした」ですが、、あまり強く感じるものはありませんでした。ただ、主人公の2人が直面する問題の一部に「格差社会における雇用と結婚」の問題が含まれていたとも言えます。

決して高望みはしない二人。目標は「今の2人での暮らしが続けられること、現状維持」です。ただ、そんなささやかな目標さえ、非正規雇用の2人では維持できることはできず、維持するために仕事を変える必要があり、その変化によって関係が崩れていきます。崩れる関係を「結婚」することでつなぎとめようとするけれど、それは適いませんでした。格差社会の下の方にいる恋人たちは、現状維持さえもままならない。そんな社会のシステムがストーリーの背景に少し見て取れました。ただ、前述の通り、強いメッセージではありません。そんなもどかしい現実に直面しつつも、花束のように美しかった5年間の方が心に残る作品です。

花束みたいな恋をした ―― 作品のストーリーについて

花束みたいな恋をした ―― 作品のストーリーについて

ストーリーは前述の通り、主人公の麦と絹の2人が出会った2015年から、告白・交際・同棲・別れとそのあとのちょっとした邂逅がある2020年までの5年間が描かれます。作品の冒頭は、その最後の2020年からスタートします。その場面では、麦と絹はそれぞれ別のパートナーと一緒に食事をしています。つまり、別れた後の2人が冒頭で描かれていて、これからはじまるラブストーリーの結末は別れであることが、はじまる前から明かされています。

だからこそ、終わりがあるからこそ美しいのがラブストーリーなのかもしれません。そうした描かれ方は「自由意志と決定論」ですね。結末は分かっているけど、その中でなんとか良い形を作ろうと奔走する2人が悲しくも美しいのです。いずれ朽ちてしまう「花束」みたいな恋というタイトルと直結する描き方です。

印象に残ったシーンを記録しておきます。この辺りがきっとキャッチコピーにある「これはきっと、私たちの物語」と想わせる妙がある部分です。まずは、2人が近づくきっかけとなった場面。別々の用事で、同じ日に終電を逃したことがきっかけに出会った2人。始発までの時間をつぶすために訪れた喫茶店で、偶然、映画監督の「押井守」を見かけます。押井守を認知していることは日本人としてしかるべきで有ることと同時に、素晴らしいことでということを、麦に絹が伝えることで二人の距離が近づきます。

そして、その絹の言葉をきっかけに意気投合した2人で向かった居酒屋での発見。まずは、2人が同じスニーカー「ジャックパーセル」を履いていたという偶然。Ceroの話し、今村夏子の話し、天竺鼠の話し。そしてボクが一番グっときたのが、すったもんだあって機嫌を損ねてしまった絹に麦が弁解をした後に、それを許す言葉として「カラオケ屋らしいカラオケに行きたいです」と絹が答えたところ。ボクは、カラオケと、カラオケが好きな女の子と、その女の子を2人でカラオケに行くのが大好きです。これはきっと、私たちの物語 (^^;)

その後のファミレスでの告白や同棲が決まり、2人で部屋を創っていく場面。2人でマンガを読み、ご飯を食べ、音楽を聴く場面。仕事が優先になってしまう場面やそれがきっかけに関係が崩れつつあっても、極力をそれを出さないようにと努力する優しい2人とか。共感できる場面がたくさんありますが、やっぱり一番は出会いの場面。そこが最高潮なのは、やっぱり恋と同じ展開でしょうか。そして、別れを決めるファミレスの場面。その決断を仕掛けた2人ですが、麦がなんとか関係を留めようと結婚を切り出し、絹もそれに同調しかけます。が、告白の時に座っていた席に初々しい出会ったばかりの若い男女が座り、まるで数年前の自分たちと同じような会話をはじめます。その2人を見て、その時の溢れるような感情を想い出した2人は妥協しかけた自分たちに気づき、別れを決めることになります。一番美しかった時期を想い出すことが今のシンクロしない辛さと厳しさを知るきっかけとなりました。

ボクにもそんな趣味がばっちり合う女の子と付き合った経験があります。観ているもの、聴いているもの、持っているものがシンクロしていく出会いは本当に素敵で、そんな昔の彼女に連絡したくなる映画でした。ちなみに、妻は「顔」で選びました。ボクの趣味は理解してくれませんが(例えば音楽フェスに連れていったら、うるさくて辛いなんて言う人です)、ボクとは釣り合わない美形だと今でも思っています。趣味が合う子が良かったかなぁ。なんて、たまに思いますが、15年以上、それでもまあボクとしては幸せに続いています。

花束みたいな恋をした ―― 撮影と編集について

花束みたいな恋をした ―― 撮影と編集について

本作の語り手は2人。麦と絹です。その2人のナレーション、視点がくるくると入れ変わるように進みます。出会いから最初のシーンでは、それぞれが心の内に想っていることを1人が語り、また別の1人が同じような想いを語る。シンクロしていく2人の関係・感情がよく分かる編集です。ファミレスでの告白の場面、2人の想いが重なる場面がとても素敵でした。そして、自分語りが続く中で、2人が同じ画面に収まるシーンの撮影がすごいです。一番は、同棲がはじまる頃。新しく住む家の窓を開けてベランダに出るシーン。ドアを開けてベランダに出た絹の見上げるようにカメラが動き、部屋からベランダを超えるようにカメラが移動すると、絹の隣に麦が映り、多摩川と美しい青空とともに2人が収まる。これからはじまる2人の時間の美しさを瑞々しさがその画面だけで伝わる撮影でした。

2020年の最後のシーンも印象深いです。お互い別のパートナーを連れて出会ってしまったレストランを出て、一度も視線を交わさず会話もせずに別方向に歩いていく2組のカップル。カメラは麦のカップルを背後から映すと、後ろを振り向かずに手を挙げてバイバイと振る麦。次にカメラは絹のカップルを背後から映すと、同じように後ろを振り向かずに手を振る麦。ここには「東京ラブストーリー」へのオマージュを感じてしまいました。カンチとリカの出会いと別れのシーン。同時に振り向いた出会いと、振り向くタイミングが違ってしまった別れの場面。30年経っても覚えている場面です。

そういえば、ローティーンの頃に東京ラブストーリーを見て、ボクはカンチみたいな恋と生活がしたいなと思って、東京に出ようと思ったっけ。なんてことも、最後に想い出させてくれた映画でもありました。珍しい邦画ドラマの映画体験でしたが、良かったです : )

花束みたいな恋をした ―― これはきっと、私たちの物語。ってコピーが良く分かる、坂元裕二さんの初映画脚本作品

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この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

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