わたしは最悪。―― 女性活躍って期待されるのも大変だ

ノルウェーの映画「わたしは最悪。」を観ました。劇場はヒューマントラストシネマ有楽町。オスカーの国際長編映画賞のノミネート作品です。

劇場でヨーロッパの映画をしっとりと観るなんて最近はほとんどなかったので、なかなかに貴重でした。女性、特にヨーロッパの女性は近年活躍する姿に脚光を浴びることが多いけれど、やりたいことはいろいろありそうだけど定まらないし、恋愛も出産・子育てだっていろいろ考えちゃうけど定まらない。だから「わたしは最悪」?。そんなことないのになぁ。と思いつつ、日本の40代のおじさんも思い返してみれば同じレベルで迷っていたりします。そんなこんなを想う映画でした。背景やストーリー、撮影と編集について記録しておきます。

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わたしは最悪。―― 作品の背景について

わたしは最悪。―― 作品の背景について

作品の舞台となるノルウェーの世界ジェンダー・ギャップ指数の2022年の順位は第3位。常に上位3位にランクインし、過去には1位も獲得したことがある世界有数のジェンダー平等の国です。そんな国のひとりの女性を描いた作品。女性活躍の機運が高まる環境においてだって、仕事も恋愛も結婚も出産も、うまくバランスが取れない女性がいるだろうし、そんな不安定な自分を最悪って思ってしまうかもしれない。女性活躍社会は女性をエンパワーする社会なのかもしれないけど、それを好機と考えるのか、その機運を自分のためのものと思えるのか。つい、「これからは女性の時代だ」と声を大きくして言いたくなる自分にも、一歩足を止めて周囲を見渡して考えようよ。と、語り掛けてくる主人公の「ユリア」の姿だったし、そう考えさせられる作品の背景でした。

わたしは最悪。―― 作品のストーリーについて

わたしは最悪。―― 作品のストーリーについて

ナラティブは、ノルウェー:オスロに住むアラウンド30の女性ユリア。そして彼女と恋に落ちる二人の男性「アクセル」と「アイヴィン」です。

頭脳明晰なユリアは医大に進学するも、肉体よりも魂の問題解決に興味を惹かれて心理学に転向します。しかし、それも長続きせずに次はカメラマンの道に。と、才能を持ちながらもまっすぐではなく曲がりくねった道を歩きはじめた女性です。そんなユリアは30歳を目前に、40代の絵本作家アクセルと出会い、恋に落ち一緒に暮らすことになります。絵本作家として成功を収めるアクセルは、才能がありながらもふらふらと進むユリアに対して、愛情を注ぐとともに、家族となり子どもを持つことを熱望します。

しかし、自分の道を定めきれないユリアはアクセルの提案に対して悩み、成功を収め、多数の人に賞賛されるアクセルの姿を見ることで寂しく、悲しい気分に落ちてしまいます。そんなときに出会うのが、アイヴィンでした。アイヴィンはユリアと同年代であり、確固たる地位を得たアクセルと比較してどことなくヒッピーな空気感を漂わせています。そんなアクセルに惹かれるユリア。しかし、出会いの日はお互いのパートナーのこと想い、ファーストネームを伝え合い分かれます。

それからしばらくして、オスロの街、ユリアが働く本屋にてアイヴィンと偶然の再開を果たします。そこで、お互いに想いあっていることを確認したユリアは、ある日の朝、アクセルと住む家からアイヴィンが働くパン屋へと疾走します。その時、時間は止まり、人々が静止するオスロの街を駆け抜けてアイヴィンを見つけるユリア。彼と彼女は3度目の邂逅で改めて愛を確かめあい、その日のうちにユリアはアクセルに別れを告げて、アイヴィンとの同棲がはじまります。

アイヴィンとの新しい生活に興じるユリア。ふらふらと生きるアイヴィンとの共同生活に居心地の良さを感じていますが、ある日、妊娠が発覚し動揺します。また同時に、街で偶然出会ったアクセルの兄から、アクセルが末期ガンであることを伝えられます。モヤモヤとした気持ちを抱きつつ、アクセルが入院する病院へと向かうユリア。衰えたアクセルに、妊娠していることを告げ、かつて嫌に感じた言葉であった「いい母親になれるよ」という言葉を送ってもらい、アイヴィンの元へと戻ります。そしてアイヴィンに妊娠したことを告げるのですが、アイヴィンは「時間が欲しい」と返すのが精いっぱい。。

その後、ユリアは余命いくばくかのアクセルに付き添い、彼の最後の姿を写真に残していきます。そんな時間も短くすぎ、アクセルは亡くなってしまいます。アクセルの死を悲しみ、オスロの街を一人歩き続けるユリア。朝まで歩き続けたユリアは家につきシャワーを浴びるのですが、そこで血液がシャワーとともに流れます。ユリアがお腹に宿した子どもは流産となってしまいました。

終章。ユリアはカメラを手に持ち、ドラマの撮影が終わるのを待っています。撮影後、女優のスチール写真を撮るユリア。うまく演技ができなかったと嘆く彼女に語り掛け、美しい表情を引き出します。撮影が終わり、ふと外を眺めると、そこにはアイヴィンの姿が。ユリアが撮影した女優を幼い子どもと一緒に迎えにきていたのがアイヴィンでした。ユリアとアイヴィンの生活はすでに終わりを迎えていたのでした。ユリアは家でひとり、その日に撮影した写真の確認と編集を進めるのでした。

わたしは最悪。―― 撮影と編集について

わたしは最悪。―― 撮影と編集について

カタルシスはなく、物語の起伏も少ない会話劇の映画です。しかし、ノルウェー:オスロの街がとっても美しく切り取られる撮影が際立ちます。静かな場面における、光と影の演出にも心を奪われます。ノルウェーの夜には暗闇はありません。うっすらと明るい夜と影。美しい街並みに指す光と青空。女性活躍の社会に、悩みながら曲がりくねった道を進むひとりの女性に、やさしく美しい影と光を映してくれる撮影と編集でした。

わたしは最悪。―― 女性活躍って期待されるのも大変だ

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この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

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