映画「百花」を観ました。監督は川村元気。自らが書いた小説を映像化した作品です。会話劇で進む日本映画なので、映画館で観るべき作品ではないかもしれないと考えていましたが、クリティックの評判がとても高く、かつ映画館で映像と特に音を体験すべきという評判を聴き、TOHOシネマズ日比谷まで行ってきました。
今の日本に暮らす自分だからこそ感じられる、じんわりと心に残る作品だったので、背景・ストーリー・撮影と編集の視点で記録を整理します。
百花 ―― 作品の背景について
もはや昭和ではない。今年、2022年6月に公表された『男女共同参画白書』で強調された言葉です。昭和の時代の家族3世代が同居する大家族が一般的だった時代はとうにすぎさり、今もっとも多い家族の形態は単身。次に夫婦と子ども、夫婦のみ、ひとり親と子ども。という順に続きます。3世代同居は一番少なく、8%弱しかありません。本作はそんな昭和ではない家族の姿を切り取った作品でした。
そしてもう一つ。過ちを犯してしまった人が赦されることへの是非。キャンセルカルチャーと言われる状態が、たった2人の母と子の中に内包されていたとしたら、2人の家族はどう振舞うのか。新しく脆い家族が、過去の過ちを内包しながらも、お互いを気遣い、バランスを取りながら暮らしてきた生活が、母のアルツハイマー型認知症の発症とともに崩れ、そしてまた過去に戻り、新しい関係を築くための模索がはじまります。
もはや昭和ではない。小さくなり、さらに分断が進む現代の家族が、家族として何を共有すべきなのかを語り掛ける作品です。
百花 ―― 作品のストーリーについて
本作のナラティブは、レコード会社に勤める「泉」。社内結婚した妻「香織」との間に子ども授かり、もうすぐ出産を控えています。新しい家族を迎えようとする泉には、今はひとりで暮らす母「百合子」がいます。年末、ひとり実家に帰省した泉は、家の中に母の姿がないことに気づき、近所を探し回ります。夜の公園に百合子の姿を見つけ、近寄る泉ですが、母の様子は明らかにおかしく、ぼんやりとして、また記憶が倒錯しているよう。母、百合子の認知症の疑いを感じるところから、危うい均衡を保ってきた、2人の親子の関係が変化していきます。
日に日に症状が重くなる百合子。警察のお世話になったり、行方不明になったりとトラブルが続きます。泉は一人っ子としてそうした問題に向き合い、疲弊しながらも真摯に対応していきます。妻の協力もあり、母と改めて向き合おうとする泉、ある日「半分の花火が見たい」という百合子のリクエストに応えて、湖上の花火大会に出かけます。しかし、そこでまた百合子は行方不明となってしまいます。人込みの中、母を呼びながら探す泉。その状況は、彼が心のうちにしまっていた子どもの頃の記憶を呼び起こします。母と子には以前、1年の空白がありました。それは、百合子が泉を捨て、愛する人と駆け落ちをした一年でした。
花火大会での一件、そして過去の母の行動にも影響を受け、泉は百合子を養護施設に預けることを決めます。母を施設に預け、実家で母の荷物を整理する泉。そこで、百合子が自分が認知症であることを理解し、またそれに抗うために書いたたくさんのメモを発見します。母の努力に心を打たれる泉でしたが、同時に百合子の日記を見つけてしまいます。そこには、空白の1年の母の記録が残されていました。
百合子は泉を捨て、愛する人と神戸に暮らしはじめました。後ろめたい気持ちを抱えつつ、愛が溢れる新生活に溺れる百合子。しかしその生活は1年を経過する前に大きく破壊されます。新しい住まいの神戸で、百合子は阪神大震災に被災することになります。破壊され、がれきの山となってしまった街をさまよい、百合子が発した言葉は息子の名前「泉」を呼ぶ声でした。
母の1年の人生を知った泉。妻、香織とも少しずつそんな母との関係を共有します。そんな背景を察しながら、香織は百合子に「もう謝らくていいんじゃないですか」と赦しをささやきます。しかし、百合子は「泉はきっと赦してくれないんだろうね」という覚悟を話します。
ある日、荷物整理のために百合子と泉は実家に戻ります。一仕事終えて休憩をする泉は、実家の居間でうたた寝をしてしまいます。すっかり暗くなるぐらいまで寝てしまう泉ですが、花火の音で目が覚めます。高台にある実家の正面に見えるマンションの上に花火が打ちあがっています。泉の隣にはそっと百合子が座っていました。マンション越しに見える花火は、上半分しか見えません。百合子は「半分の花火、キレイだね」と泉に語り掛けます。
母と子、2人で見た半分の花火を泉は覚えていませんでした。アルツハイマー型認知症で日々のいろいろを次々と忘れていく百合子は、2人で見た半分の花火は決して忘れることはありませんでした。幼き頃の母との美しい思い出を想い出し、泉のわだかまりは氷塊していきます。過ちを犯してしまった家族が、もはや昭和ではない小さな単位の家族が、共有するべきことがそこにはありました。
百花 ―― 撮影と編集について
会話劇中心の静かな作品です。しかし、そこにはサスペンスを際立たせる、不思議で不気味な撮影と編集が丁寧に織り込まれていました。アルツハイマー型認知症を患う百合子が繰り返す行動の奇妙なリフレイン。そして、その後ろに流れる音の奇妙なクロスオーバー。一つの場所にカメラを置いて、空間を長回しで撮影する手法が、百合子の行動の奇妙さを際立たせます。音もその場所でなっている音と、どこか他の場所でなっている音が重なって聞こえてきます。
派手な演出ではないからこそ、空間がぐにゃりと曲がるような。そしてそれは、母と子の奇妙な関係を表象するような気もして。大きなスクリーンと、大音響だからこそ体感できるサスペンスがほどこされた撮影と編集でした。
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