グランツーリスモ ―― 格差の壁をぶち倒すドライバーの物語。大好きなテーマ。だが、、、

映画「グランツーリスモ」を観ました。劇場はTOHOシネマズ錦糸町です。楽しみにしていたレーシング映画です。IMAXのシアターで観たかったのですが、タイミングを逸してしまいました。公開3週目にして、IMAXスクリーンでの上映は1日1回という感じになっていました。残念。

そんな状況で、残念ながら大画面での鑑賞はできなかったグランツーリスモですが、作品の背景・ストーリー・撮影と編集の視点で、レビューを残しておきます。

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グランツーリスモ ―― 作品の背景について

めちゃめちゃ期待していた作品でした。それは、大企業の思惑が渦巻くモータースポーツの世界を描くこと。その中で、何も持たない格差社会の下側にいる若者が格差の壁をぶち破る物語であること。そして、日本のゲーム業界や車業界の会社が関わる実話であり、また実際の会社名や開発者の名前が登場すること。近いモチーフを扱った「フォード vs フェラーリ」に大興奮したボクとしては期待せざるを得ません。今、ボク自身が組織の中における理不尽さに鬱々としていることもあり、社会と資本主義と企業と自分の想いの狭間で前へ前へと進む主人公のプロセスを観たいと。そんな期待を胸に劇場へと足を運びました。

実際にすごい実話だと思いました。ゲームの中でしか自分を表現できず、社会にも家族でさえその存在を軽んじて見られる若者。そんな若者は世界にたくさんいて、生きづらさを感じながらもeスポーツやYoutuberとしていつか格差の壁を壊してやるんだと野心を心に溜めているものと思います。きっとその最高峰が本作の主人公「ジャン」ではないでしょうか。大好きなレーシングゲームの腕を極めることで、ゲームの世界を飛び出し、現実のレーシングドライバーとして成功を成し遂げました。本当にすごい物語。こうしてテキストで書いていても沸々と湧き上がる気持ちがあるのですが、しかし、この映画では期待していたほど込み上げてくるものはありませんでした。ストーリーの描き方なのか、撮影と編集の効果なのか。その辺りを考えながら整理を進めていきます。

グランツーリスモ —— 作品のストーリーについて

本作でナラティブを担うのは3人。ウェールズに住むレーシングゲーム「グランツーリスモ」に情熱を燃やす若者ジャン。日産のマーケティング担当役員の「ダニー」。そして、元レーサーで現在は整備士として働く「ソルター」です。この3人が絡み合う物語は、ダニーが日産にてグランツーリスモの優れたプレイヤーを本物のレーサーに抜擢する企画を立ち上げたところからはじまります。

日産の役員会で企画を通したダニーは、ゲーマーをプロレーサーに育成することができるインストラクターを探します。そのコンセプトの危うさに多くのプロレーサーはNGを出していきますが、最後の候補者だったソルターだけは危険であることを承知の上で、自身の現状を変えるがために引き受けることになります。ウェールズで家族に疎んじられながらもグランツーリスモの腕を磨くジャンは、ダニーの企画への招待を受け、やはり現状を変えるがためにチャレンジする決意を固めます。

見事にゲームレースで好成績を獲得したジャンはグランツーリスモアカデミーへの入学を認められます。そこでは、9人のレーサー候補者とともに、ソルターの厳しい指導を受け、リアルなレースの腕を磨いていきます。アカデミーのレースでもトップを獲得し、FIAライセンスを取得するために世界各国で開催されるレースに挑み、本物のレーサーたちと競い合います。そのラストチャンスとなったドバイのレースで、ライセンス獲得に必要な4位以内を獲得し、ジャンは本物のレーサーとして日産と契約します。

いよいよプロレーサーとしての戦いをはじめることとなったジャンですが、そのはじめてのレースでクラッシュ。観客を死亡させてしまう事故を起こします。ゲームとは違う、リアルなレースのリセットできない過ちに苦悩するジャン。加えて、ゲーマーをレーサーにという無謀な企画で死亡事故を起こした日産チームを排斥しようという動きも出てきます。逆境が続く中、ジャンとソルターとダニーは、最高峰かつ最高難度のレース「ル・マン」への出場を決意し、現状突破する道を選びます。

ル・マンは24時間を3人のチームで走り抜ける過酷なレースです。ジャンはチームメートと協力し、ときに引っ張りながら長い長いレースに挑みます。ル・マンの24時間は、これまでにジャンが進んできたプロセスをひとつひとつ思い出し、確かめながら進む道のりでもありました。ただのゲーマーから本物のレーサーへと成長する過程、成功を掴んだ途端に両手からそれがこぼれ落ちていくような事故を経験し、しかしジャンはソルター、ダニー、チームメートとともに長い道のりを進んでいきます。ル・マンの最終コーナーでは、グランツーリスモの中で培ったテクニックを思い出し、ライバルを抜き去って入賞をつかみました。

映画でのナラティブはここまでですが、その後のジャン・マーデンボローの活躍がエンドロールでは語られ、ジャンの挑戦と成功は今も続いていることを知りました。

グランツーリスモ —— 撮影と編集について

ゲームの世界がリアルに見えて、リアルなレースがゲームの中にいるように変化して。ゲーマーが素晴らしいレーサーに変貌してくストーリーのように、撮影と編集も2つの世界を行き来しているように見える演出を楽しく観ました。しかし、そういうアングルに拘ったことが理由なのか、リアルな場面でのカメラの位置が単調な気がしました。

例えば、前述のフォードvsフェラーリでは、地べたから上を見上げるようなカメラの位置が、格差の下から這いあがろうと上を見上げる主人公の姿・心情を表象するようで、ゾクゾクとする気持ちになったことを覚えています。同じく、上からの視線。例えば、フォードやフェラーリの経営者からの視点での物語の語られ方が、理不尽であり、でもこれが社会の一側面をしっかりと映しているんだろうなという実感があったことに比べ、本作では日産やその他の企業側からの視線が覚束なかったと感じてしまいます。

市井のいちゲーマーが格差社会を這い上がる実話をもとにしたストーリーはすばらしかったのですが、そうしたナラティブからの視点だけでなく、上から横から下からも、もっと多くにカメラの位置を置いて欲しかった。それがグランツーリスモという映画へ加えて期待したかったことだと、整理をしてみて感じました ( :

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この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

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