マーケティングに関わる仕事を20年続けています。マーケティングでは、永い間「人々の生活をより豊かにする」ことを考え、実行してきました。しかし、昨今では人々の豊かさと同等に、世界や地球全体に関わる課題の解決を目指す必要を感じています。つまり、人も環境も良い状態で持続可能(サスティナブル)であることが求められています。
それまでは、人々の欲求(ウォンツ)に耳を傾け、気を配りながら商品開発やプロモーションのお手伝いをしてきましたが、それに加えて、社会課題への目配せ、配慮を行うようになりました。よりパーソナルなウォンツの理解を追求してきましたが、今は全人類で自分事として語るべき「時代のナラティブ」は何なのかを考えています。その大きな道標が、国連で定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」だと思って理解を深めてきました。
しかし、この本『人新世の「資本論」』では、そのSDGsを「現代版大衆のアヘンだ」と言いのけます。時代のナラティブへの理解を深めるために、その背景と、そこで大きなリファレンスとされている経済思想「マルクス思想」を理解しておかないとと感じ、少し時間を割いて、このブログでまとめておきます。
人新世の「資本論」―― 住宅ローンを完済するまで、あと30年近く心理的貧困を感じて生きていくのか
資本主義のもとでの労働者たちの代わりはいくらでもいる。労働者は、首になって、仕事が見つからなければ、究極的には飢え死にしてしまう。マルクスはこの不安定さを「絶対的貧困」と呼んだ。「絶対的貧困」という表現には、資本主義が恒久的な欠乏と希少性を生み出すシステムであることが凝縮されている。本書の言葉を使えば、「絶対的希少性」が貧困の原因である。
なるほど。少し言葉を入れ替えてみると、絶対的貧困は「心理的貧困」と呼ぶ方が実感が持てます。資本主義経済社会の構造の中にいることで、ボクは毎月の給料をいただき、それを原資に生活しています。それによって多少の贅沢や、資本財やペーパーアセットへの投資ができます。一方でその構造から外されてしまう可能性はいつでも存在し、ふとその危機感を感じることは稀にではなくあります。例えば、コモンズによって最低限の生活が守られる構造の中であれば、この危機感を感じることなく、つまり心理的な貧困の危機を感じずにいられるのかもとも思います。
住宅ローンは、額が大きい分、規律権力としての力が強い。膨大な額の三〇年にもわたるローンを抱えた人々は、その負債を返すべく、ますます長い時間働かなくてはならない。借金を返すために、人々は資本主義の勤労倫理を内面化していく。残業代を得るために長時間働いて、出世のために家族を犠牲にするのである。
生々しいですね。。住宅ローンを組み、自分の城を手に入れてから、それに対して喜びを充実感を感じるとともに、一方で今の給料よりも減ってしまったら、もらえなくなってしまったら、という心理的貧困を感じることは格段に増えました。そしてこのままであれば、その状態は30年近く続くことになります。ボブ・マーリィのリリックを借りると「なんとか抜け出そうともがくけど、なかなか抜けることができない」のが、資本主義経済社会の心理的貧困なのかもしれません。30年か。。
資本は「人工的希少性」を生み出しながら発展する。「価値と使用価値の対立」が続く限り、いくら経済成長をしても、その恩恵が社会の隅々にまで浸透することはない。むしろ、人々の生活の質や満足度は下がっていく。これこそまさに、私たちが日々経験している事態なのである。
希少性を生む構造であることが、社会の隅々まで恩恵が浸透しない原因であることは分かります。ただ、それが人々の生活の質や満足度を下げていくというロジックは分かりませんでした。本当の貧困の中にある人たちにはとても辛い構造であることは間違いないでしょう。しかし、ボクのように、今の生活を維持しなくてはというプレッシャーに晒されている心理的な貧困層は、一方で生活の質を積み上げていくことでそうしたプレッシャーに晒されています。少なくとも、妻と子ども、家族の生活の質は上げられていると信じたいです。
そして、そうした心理的な貧困からも抜け出すチャンスは資本主義経済社会にはあるとも思います。難しいけど。そうした機会が持てる社会が良いのか、それともコモンズによって担保された平等な社会が良いのか。どちらを選ぶのかはまた別問題で悩ましいのですが。。なるべく多くの視点で、引き続きこの本の解釈に向き合っていきたいと思います : )
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