マーケティングに関わる仕事を20年続けています。マーケティングでは、永い間「人々の生活をより豊かにする」ことを考え、実行してきました。しかし、昨今では人々の豊かさと同等に、世界や地球全体に関わる課題の解決を目指す必要を感じています。つまり、人も環境も良い状態で持続可能(サスティナブル)であることが求められています。
それまでは、人々の欲求(ウォンツ)に耳を傾け、気を配りながら商品開発やプロモーションのお手伝いをしてきましたが、それに加えて、社会課題への目配せ、配慮を行うようになりました。よりパーソナルなウォンツの理解を追求してきましたが、今は全人類で自分事として語るべき「時代のナラティブ」は何なのかを考えています。その大きな道標が、国連で定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」だと思って理解を深めてきました。
しかし、この本『人新世の「資本論」』では、そのSDGsを「現代版大衆のアヘンだ」と言いのけます。時代のナラティブへの理解を深めるために、その背景と、そこで大きなリファレンスとされている経済思想「マルクス思想」を理解しておかないとと感じ、少し時間を割いて、このブログでまとめておきます。
人新世の「資本論」―― 絶滅への道は、善意で敷き詰められている
大きな期待を集めている政策プランのひとつが、「グリーン・ニューディール」だ。例えば、アメリカでは、トーマス・フリードマンやジェレミー・リフキンといった識者たちが提唱し、その必要性を擁護している。バーニー・サンダースやジェレミー・コービン、ヤニス・ヴァルファキスといった世界中の名だたる政治家たちも、中身に決定的な違いはあるもののグリーン・ニューディールの看板を選挙公約に掲げている。
環境問題に対応する技術に積極的に投資することで、気候変動の抑止と同時に経済成長も進めるという「グリーン・ニューディール政策」に対して、ボクは基本的に好感を持っています。脱ガソリンを進める、アメリカのテスラや、化石燃料から再生可能エネルギー会社に変貌を遂げた、デンマークのオーステッドなど、緑の視点を持った事業開発を進め、グリーン・トランスフォーメーションを成し遂げて、評価・成長する企業の姿を、羨望の眼差して見ています。
しかし、こうした緑の視点に対しても、本書は鋭く指摘を入れます。
アメリカやイギリスでは、一九八〇年と比較して、四〇%の大幅な改善が見られる。英米だけでなく、OEDC加盟国を中心に、対実質GDP比でのエネルギー消費率は大幅に下がっており、先進国だけを見れば「相対的デカップリング」が進んでいるのは間違いない。ところが、先進国の傾向とは逆に、ブラジルや中東では対実質GDP比でのエネルギー消費率が、むしろ急速に悪化している。目先の経済成長が優先されるなかで、旧来型の技術のままに大型投資が行われ、「相対的デカップリング」さえも生じていない状況なのだ。エネルギー消費の効率性が悪化しているならば、当然、対実質GDP比での二酸化炭素排出割合も改善していない。経済成長の中心が中国やブラジルなどに移ったため、世界規模で見た場合、二〇〇四年から二〇一五年のあいだに、排出割合は年率わずか〇・二%しか改善していないというのである。
先進国での「見かけ上の」デカップリングは、負の部分(この場合は、経済活動に伴う二酸化炭素排出) をどこか外部に転嫁することに負っている。OEDC加盟国のデカップリングは技術革新だけによるものではなく、この三〇年間で、国内で消費する製品や食料の生産を、グローバル・サウスに転嫁したことの結果なのだ。
地球環境のために、全世界で大々的に掲げるグリーン・ニューディールさえ、空間的転嫁、つまり他の地域への転嫁をすることで成り立っているという指摘です。40年で先進国では40%もエネルギー消費率を下げているのに、世界規模でみると少し前の10年間ではCO2排出量は0.2%しか改善していないというファクトは衝撃的です。ただ、エネルギー消費量とCO2排出量というデータの出所が違う点と、時間軸も違うという点には注意しなくてはなりません。また、グリーン・ニューディール、それからSFGsは2015年に国連で採択されたという点も。ここ1年の間には、中国でさえ脱炭素に言及するようになりました。グリーン・ニューディールの評価は2015年以降を世界規模のデータで見てみる必要があります。
グローバル・サプライチェーンの反対側にいるのが、テスラはもちろん、マイクロソフトやアップルである。リチウムやコバルトがどのように生産されているかをそうした大企業のトップたちが知らないわけがない。実際、アメリカで人権団体によって裁判も起こされているのだから。にもかかわらず、涼しい顔をして、SDGsを技術革新で推進すると吹聴しているのである。
前に挙げたテスラの名前が出てきました。アップルもいち早く自然エネルギーのみで事業を行う「RE100」を宣言し、取引先にまで再生可能エネルギーによる事業運営を求めている、グリーン・トランスフォーメーションのトップ企業です。性善説ですぐに他者の影響を受けてしまうボクですから、そうした先進企業の取り組みも素晴らしいアクションだと感じています。だからこそ、本書のような指摘も確認しつつ、複数の視点で見て、確認して、行動しないとと思います。
電気自動車や再生可能エネルギーに一〇〇%移行するという気候ケインズ主義の訴えは、魅惑的に聞こえるかもしれない。だが、それは、自分たちの帝国的生活様式を変えることなく――つまり、自分たちはなにもせずとも――気候ケインズ主義が持続可能な未来を約束してくれるからだ。ロックストロームに言わせれば、それこそまさに、「現実逃避」なのである。
電気自動車の製造過程の負荷、発電時にCO2を地中に貯留するCSS付設の発電設備の負荷を指摘しつつ、本書では気候ケインズ主義の訴えを「現実逃避」と一蹴します。今の生活様式を変えることなく、技術力でスマートに環境問題を解決するグリーン・ニューディールは確かに魅力的に映ります。そして、本書では資本主義で壊れていった、地球環境に対するアプローチを以下のように訴えます。
最後にもう一度繰り返せば、グリーン・ニューディールのような政策による国土改造の大型投資は不可欠である。当然、太陽光発電や電気自動車にどんどん切り替えていく必要がある。公共交通機関の拡充と無償化、自転車道の整備、太陽光パネルのついた公営住宅の建設も大胆な財政出動によって進めていかねばならない。だが、それだけでは足りない。逆説的に聞こえるかもしれないが、グリーン・ニューディールが本当に目指すべきは、破局につながる経済成長ではなく、経済のスケールダウンとスローダウンなのである。
太陽光発電や電気自動車は必要だと言います。しかし、それだけでは足りない。グリーン・ニューディール、気候ケインズ主義との大きな違いは、経済の成長を同時に目指すのではなく、逆にスケールダウンと、スローダウンをしろ。と。それには、多くの人たちに身を着る覚悟が必要です。
無限の経済成長を目指すグリーン・ニューディールに対しては、こう言うしかない。「絶滅への道は、善意で敷き詰められている」、と。
すごいパンチラインがここで言い放たれます。緑の善意で満ちたグリーン・ニューディールが示す道標は、どこに向かっているのか。引き続き、冷静に読み進めていきます : )
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