ハウ・トゥ アート・シンキング ―― VUCAな時代の思考法を勉強します

アートシンキングという言葉を聞く機会が増えました。特にCOVID-19禍を通して叫ばれるようになった「VUCA(不安定・不確実・複雑・曖昧)な時代」に対応する新しい思考法として注目されています。ボク自身はまだ半信半疑ではありますが、マーケティングを生業としていて、商品開発の支援を行っている立場としては、基本知識は得ておかないとと思っています。

まずは手始めに本に頼ろうと思って選んだのが「ハウ・トゥ アート・シンキング」です。

読み進めながら、このブログで参照点をまとめつつ、勉強していきます。

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ハウ・トゥ アート・シンキング ―― 箱ティッシュのブランド名は答えられないけど、スマートフォンのブランド名は答えられる

日本はすでに成熟市場です。ほしいものはなんでも手に入り、ニーズは飽和し、多様化しています。発展途上の市場では需要に対し供給が足りていませんから、人がほしいものははっきりしています。しかしそれが満たされると、ほしいものは人によってバラバラになり、ニーズは曖昧になります。市場の成熟と飽和によって、価値のパラダイムが変化したと僕は考えていて、これを「工場」パラダイムから「アート」パラダイムへの変化と呼んでいます。

この時代背景に共感しています。ボクもマーケティングの現場で「日本の生活者はだいたい満足な生活をおくっている」という前提のもと、「マーケティングの役割は、まだ取り残された細やかな欲求(ウォンツ)を見つけて解消し、小さな笑顔を作ること」と訴えています。そして、それに対するアプローチを一般的な言葉で言うと「デザインシンキング」によって行ってきました。別の記事で詳細を書きますが、本書では「デザインシンキング」では、既存の発想の外にあるイノベーションは起こしづらいと訴えています。

まだ取り残されていた小さな欲求をもとに、新しい商品・サービスの発想につなげていくプロセスですので、その通りではあると思います。そしてそうした発想をもとにした商品・サービスを「工場」パラダイムのものと言い、それを「アート」パラダイムに変えていこうという試みです。

続けて、工場パラダイムとアートパラダイムの違いを、箱ティッシュとスマートフォンになぞらえて説明しています。こんな問いかけです。「あなたが今使っている箱ティッシュのブランド名を教えてください。また、あなたが今使っているスマートフォンのブランド名を教えてください」。前者は回答できる人が少ないけれど、後者は多くの人が回答できるというものです。確かに、その通り!

箱ティッシュもスマートフォンも、ほとんどの人が使ったことがあり、おなじくらい毎日使うものですから、「ニーズ」という観点ではどちらも変わらないくらいあるのです。むしろ、スマートフォンを使ったことがない人がいても箱ティッシュを使ったことがない人はいないでしょうから、ニーズとしては箱ティッシュのほうが上かもしれません。それにもかかわらず、どうしてこんなに差が出るのでしょう?それは「ちがい」がないからです。

他のもので替えが効かないかどうか、つまり「代替不可能性」によります。箱ティッシュはどれもほとんど「おなじ」で代替が簡単にできてしまいます。それゆえにブランド名すら覚えていないのですが、iPhoneには「それじゃなきゃイヤだ」という代替不可能な「ちがい」があるため、しっかりブランドを覚えているのです。

高価な耐久消費財であればブランド名は覚えているのでは。という反論もできますが、「ちがい」を明確にして「代替不可能性」を訴えるという点は参考にできそうです。箱ティッシュであれば「鼻セレブ」は、その「代替不可能性」の獲得に成功した例であることも書いてありました。ただし、鼻セレブは「取り残されていた不満」を起点としているようにも感じるんで、代替不可能性はデザインシンキングでも発見できる余地はありそうです。

企業で新規事業を検討する際、「ニーズ調査」を根拠とすることが多くあります。しかし、調査して分かるような「ニーズ」や「社会課題」は、他の企業にもみえるものです。みんなにみえている「おなじ」課題から出発し、ロジカル・シンキングすると、誰もがほぼ「おなじ」ソリューションにたどり着いてしまいます。

「ニーズ(ボクはウォンツと言っています)」と「社会課題」を背景にしたアイデア発想は今もっともクライアントに訴えている視点です。だから、それでは「おなじ」答えにたどり着くという指摘にはドキりとします。まだ、大丈夫なのかもしれませんが、いずれ「おなじ」ものばかりになってしまうかもという不安も感じます。ここに、少しの「アート視点」は入れておきたい気持ちになります。

成熟と飽和の時代にはもはや「おなじ」は価値ではなく、「ちがいが価値でおなじは悪」になりました。「工場」から「アート」へと価値のパラダイムが変わり、「ちがい」が求められるようになったことが、アート・シンキング登場の背景にあります。

「おなじ」になってしまうという指摘に対して、少なからずドキっとしてしまったということは、デザインシンキングの限界やリスクをちょっと感じていたことだと素直に受け止めます。冒頭に書いたように不確実で複雑なVUCAな時代です。これが正しいという凝り固まった視点は持たずに、アートな思考法の視点も頭に入れておきたいと思います。読み進めながら、まとめていきます : )

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