ハウ・トゥ アート・シンキング ―― イノベーションには新しい経験価値の提供と文化革新がなければならない。

アートシンキングという言葉を聞く機会が増えました。特にCOVID-19禍を通して叫ばれるようになった「VUCA(不安定・不確実・複雑・曖昧)な時代」に対応する新しい思考法として注目されています。ボク自身はまだ半信半疑ではありますが、マーケティングを生業としていて、商品開発の支援を行っている立場としては、基本知識は得ておかないとと思っています。

まずは手始めに本に頼ろうと思って選んだのが「ハウ・トゥ アート・シンキング」です。読み進めながら、このブログで参照点をまとめつつ、勉強していきます。

今回は、イノベーションを起こすためには技術革新だけでなく、文化革新がなければならない。という筆者のオピニオンに対して、気づいたこと、感じたことをまとめます。

本書に関するブログは「ハウ・トゥ アート・シンキング」のタグでまとめています。
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ハウ・トゥ アート・シンキング ―― 新しい経験価値を発想するときに「映画」が提供した経験に立ち返って考えてみよう

単なる記録でなく、「映画」がアートになったのは、「編集」というフィルムの新しい技法が生まれたときです。撮った動画をそのまま流すのではなく、時系列を入れ替えたり、カットを割って場面を転換したりする。あるいはカメラが移動し、登場人物の視線を暗示する。このような「編集」の発明によって、「映画」は単なる記録/再生とはちがう、独自の体験を生み出し始めたのです。

本論とはズレますが、すぐれた映像作品はすぐれたストーリーの他、撮影と編集の力が必要だと感じています。編集とは上記の通り、時系列を入れ替えたり、場面の転換の妙のことです。撮影は上記のカメラの移動や視点の変化のことを言っています。よく言われる例ですが、線路の上にカメラを配置して、その上を電車が通る映像を撮影することで、人の視点では見ることができない描写を撮影によって見ることができ、それに人は感動します。

日本では「イノベーション」というと「技術革新」のことと考えられがちですが、 イノベーションとは 技術革新だけでなく文化革新でなければなりません。新らしい技術はきっかけとなっても、それだけで新らしい体験や文化は生まれません。

前述の映像作品を背景に考えると、カメラ・フィルムという技術革新があっても、ボクらがいつも見ている視線で電車を撮影していただけでは感動は少なく、通常であれば見ることができない視点から見せてくれる経験を与えてくれることで、ボクらは感動を覚え、新しい文化が生まれるものだと気が付きます。

FacebookやTwitterはなにもものすごい技術革新によって生み出されたわけではありません。これらのサービスは、技術的にはインターネットとウェブ・ブラウジングだけで実現でき、取り立てて「ハイテク」なわけでもありません。実際似たようなSNSももっと以前からありました。「技術」そのものによってではなく、「実名制」や「いいね!」、あるいは「文字数制限のある短文」という コミュニケーションの新しい文化 を発明したことがイノベーションを生んだのです。

確かにFacebookもTwitterも、技術革新ではなく、いいね!ボタンや短文による表現を促した文化革新であり、新しい経験価値を生み出したものだと実感します。だいたい満足な成熟社会なった今だからこそ、大きなイノベーションは生まれづらく、新しい経験価値が必要だ。と言われることがあるけれど、過去に遡ってみても、映画によるイノベーションはカメラとフィルムの技術革新で起こったのではなく、撮影と編集による文化革新によって生まれたという歴史を頭に入れておかないとと思います。

新しい経験価値を生むのは大変だけど、アートと「映画」をリファレンスして考えることで、発想のきっかけがつかめるかもしれません : )

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