三宅唱監督作品「ケイコ 目を澄ませて」を観ました。劇場はヒューマントラストシネマ有楽町。16ミリフィルムで撮影された映画です。年末に仕事納めをした後、ゆったりとした気持ちで観ました。
聴覚障がいを持ちながらプロボクサーとして活躍する女性の物語。ボクシングシーンは痛そうな演出が記憶に残りますが、耳の聞こえない主人公とシンクロしてか、劇伴はほぼなし。ストーリーも淡々と静かに流れる映画です。年末の心と身体にスゥっと染み込んでいく映画でした。背景やストーリー、撮影と編集について記録しておきます。
ケイコ 目を澄ませて ―― 作品の背景について
障がいを持ちながら、プロの格闘家として活躍する女性の物語。設定だけでパンチラインが満載ですが、「ケイコ」はとことん淡々としたたたずまいと、いつも険しい目線と表情で日々を暮らしています。多様性が認められ、性別や障がいの有無に関係なく活躍の場を見つけることができる環境になってきているのかもしれません。本作でも、女性だから、障がい者だから、、といった表現・場面はほとんど描かれません。ただ、そういう個性を身にまとった一人の人間の、言葉でも気持ちでもなく、その行動とふるまいを細やかに見せてくれる映画です。励まされるでもなく、勇気づけられるでもなく、パンチラインが効いた言葉も音楽も場面もなく、ただ一人の人間を観て、ただ自分も自分の人生を生きてこうと、そう思わせる映画でした。
ケイコ 目を澄ませて ―― 作品のストーリーについて
作品のナラティブはケイコ。しかし彼女が語る言葉はありません。荒川沿いの古びた小さなボクシングジムに所属し、テストに合格しプロボクサーとして2戦目の試合を控えるケイコ。彼女は生まれつき聴覚障がいを持ち、両耳とも聞こえません。
誠実に彼女と向き合うボクシングジムの会長とトレーナーに支えられながら、早朝のロードワークと昼間の仕事と、夕方からのジムでの練習を毎日繰り返し、丁寧に日々を重ねています。ケイコのマンションには弟が同居していますが、アルバイトでその日暮らしの弟は、シェアする家賃を滞納することもあり、いいかげんな弟と少しぶつかり合うこともあります。
次の試合。ケイコは強烈なパンチを受けながらも判定で勝利をおさめます。試合会場には母親も駆けつけてくれました。ケイコが試合でパンチを浴びる様子を母親は直視ができません。ケイコがボクシングを続けることにも少し反対のようです。試合後の団らんを過ごし、家へと帰る駅へ向かう道すがら、母は「プロにもなったんだし、もう十分なんじゃない」とケイコにボクシングを止めるように諭します。もちろん、ケイコは何も語りません。次の日も、淡々とロードワークと仕事と練習を続けます。次の試合も迫ります。でもケイコは一人、ジムの会長に向けて手紙を書きました。「一度、お休みしたいです」。しかし、迷ったあげくその手紙をジムのポストに入れることはありませんでした。
同じころ、ケイコが通うボクシングジムも過渡期を迎えていました。新型コロナウイルスの影響で練習生が次々と辞めていきます。加えて、会長の体調も良くないようです。会長とその妻はジムの閉鎖を決めました。ジムが閉鎖されてもケイコがボクシングを続けられるように、会長とトレーナーは方々のジムをあたってくれました。ようやくひとつ、ケイコを受け入れたいというジムが見つかり、トレーナーと共に面接に向かいます。立派なジムでした。しかし、ケイコは「家から遠い」という理由で断ってしまいます。必死で受け入れ先を探してくれたトレーナーは、ケイコに厳しい言葉を投げかけます。
家に帰ると、弟とその彼女がいました。覚えたての手話でケイコに挨拶をする彼女。その必死な姿にケイコは笑みをもらします。次の試合に臨むための、ロードワークと仕事とジムでの練習に、弟とその彼女と少し触れ合う時間がケイコの生活に加わりました。
試合までもう少し。しかし、会長が倒れて入院することになってしまいました。会長の病室へと見舞いに向かうケイコ。病室ではボクシングノートにペンを走らせています。会長の妻がその姿を見て、ノートを見せて欲しいと話します。ケイコのノートにはボクシングの記録が丁寧に描かれていました。
そして、試合の日を迎えます。会長と妻は病院で、試合の配信をタブレットで見守ります。母親は弟の彼女と一緒に、同じく試合配信を見つめます。試合中、ケイコは相手に足を踏まれて転倒しますが、それをダウンと取られてしまい抗議します。しかし受け入れられず、ペースを崩します。結果はケイコの敗戦でした。
ケイコの試合後、ボクシングジムは閉鎖の準備をしていました。ジムからボクシング用具が次々と運び出されていきます。ケイコの生活の一部であったボクシングジムはなくなってしまいました。しかし、ケイコはそれからも早朝の荒川沿いを走っています。ロードワーク後に、荒川土手で川を見つめるケイコ。彼女に近寄ってくる作業着姿の女性がいました。敗戦した試合の対戦相手です。彼女はケイコに「この前の試合、ありがとうございました」と礼を言い、頭を下げて去っていきました。
その姿を見送り、ケイコは会長からもらった赤いキャップを目深に被り、ストレッチをし、再び走り出します。背後には、電車が鉄橋を走り、荒川を越えていきました。
ケイコ 目を澄ませて ―― 撮影と編集について
まず、ケイコのロードワークの場所である荒川沿いに風景に目を惹かれました。ボクが毎週末走るランニングコースです。荒川の向こうに、堀切や北千住の街並み、花王の工場が見えました。ケイコが淡々と生きる、荒川や北千住を丁寧に描く撮影と編集でした。
ケイコがボクシングを休むという手紙を渡すことができずにジムを後にする場面では、画面の手前にケイコがいて、奥から会長と妻が現れます。荒川の狭い路地ですれ違う瞬間に、カメラは横へと移動します。路地の家と家の間から、ケイコが浅く頭を下げ、会長と妻の横を通り過ぎるカットが横から映されます。ケイコが荒川の土手に立ち、会長からもらった帽子を目深に被ると、ケイコの後ろを電車が鉄橋を渡り走っていきます。言葉も音楽もなく、カメラの位置と、荒川と街が背後で動く編集によって、気持ちの交差や決意を描いているような、そんな撮影と編集でした。
ケイコが走っていくと、そこには荒川と街と鉄橋が映し出され、音楽もなくただ街が発する音がなっている中、エンドロールが流れていきました。心にぐっと残る映画でした。
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