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2010s(トゥエンティテンズ):第3章~スポティファイとライブ・ネイション―――民主化と寡占化|イリーガルを規制するよりも新たな技術とシステムを創れ

2010年代のポップカルチャーのメインストリームや、そこで起きた変化を解説する本「2010s」。1周目でチェックした部分を中心に、2周目を読み進めながら感想を記録していきます。

第3章の後半では本章のサブジェクトになっている「スポティファイ≒ストリーミング・サービス」の話題に触れられています。特に日本におけるストリーミング・サービスの市場化に関する話ですね。

このテーマは著者の宇野惟正さんの「日本が海外の音楽シーンから遅れをとってきたのは、ストリーミング・サービスの普及が遅れたから。という、いろんなところで語られてきた認識は、歴史修正主義的というか、それ以前に音楽産業で起こってきたことをいろいろ見過ごしている。という問題提起からはじまります。

ちなみにボクはAmazon Primeに加入したのが2017年1月で、その辺りからストリーミングで音楽は聴いていました。加えて、2019年にAmazon Prime Unlimitedに加入して、本格的にほぼストリーミング・サービスで“のみ”音楽を聴くようになりました。ストリーミング・サービスの利用状況はこんな感じですが、何度も言うように2010年代の音楽シーンには「遅れをとった」という実感があります。

ストリーミング・サービスが主流となった必然

宇野 一応、事実関係を整理しておくと、第1章では「2010年代が始まったのは2008年だった」というテーゼを示しましたが、スポティファイのサービスが始まったのがまさに2008年。日本に入ってきたのが、そこから実に8年遅れての2016年。アップル・ミュージックが始まったのは2015年で、その時は同時に日本でもサービスが開始された。ただ、日本では最初の頃はもう本当にインディのアーティストしかいないみたいな状況だった。

田中 あえて意地悪な言い方をすると、1990年代までの日本は、北米、イギリスに次ぐ音楽産業が盛んな国だったせいもあって、かつて築き上げたシステムがもたらす既得権益にしがみついた結果がストリーミング・サービスの上陸を遅らせることになった。

宇野 マーケットの規模としては、北米に次いで世界2位でしたからね。

田中 保護貿易みたいなもんだよね。海外のストリーミング・サービスでは音源を開放していても日本では聴けない邦楽作品というのは珍しくなかったわけだから。ところで、日本で音楽のストリーミング・サービスって、いくつあると思う? (中略) 自分が確認しただけでも14個は存在する。世界中でストリーミング・サービスがそんなにもある国はおそらくこの国しかない。半数近くが日本資本だし。国内の音楽業界の総意として、海外のストリーミング事業のローンチをずっと塞き止めていた結果、こんな歪なことになった。

なるほど。ドメスティックの市場規模が大きかったことと、日本資本のプレイヤーが多いという点は、日本のモノ作り(メーカー)の構造ともとても似ています。かつては世界に誇る日本のメーカーでしたが、今は国内で競合するメーカーが多すぎだと思っています。フィンランドのノキア、韓国のサムスンなど、国内市場が小さな国が世界の市場をとるためには国力を集中して海外に打って出るメーカーに投資を行っています。日本は各業界にたくさんのメーカーが存在するので、そういう集中と選択は難しい状況です。

ストリーミング・サービスでも自然とプレイヤーが増えてしまう、増やしてしまうのが日本の産業文化なんだと理解しました。

宇野 ひとつ確実に言えるのは、海外では、ストリーミング・サービスが整備される前に、まずはナップスターの時代があったわけですけど、日本の場合は一部で違法サービスが野放しにされながらも、「着うた」みたいな有料サービスにレコード会社各社が注力してその時代をやり過ごしてきた。要は、音楽業界の総意として「ただで聴かれるよりはまし」というストリーミング・サービスの大義みたいなものが生まれにくいようにしてきた。

田中 そうなんだよね。ナップスターがまさにそうだけど、欧米でのイノベーションというのは、まずは革新的な技術やアイデアを使ったイリーガルなシステムから始まって、それが次第にリーガルな新たなビジネスに発展していく場合が多い。
(中略)
一番の鍵は、市井の人々の欲望なんだよね。「今のシステムはもう古い」「現状に則していない」「おかしい」っていう。そうすれば、きちんとした議論が巻き起こって、権利をクリアにすることでマネタイズするシステムの開発へと発展していく。でも、日本の場合、そういう過程すべてに蓋をしてきたという歴史がある。
(中略)
チケットの違法転売サイトについても同じことが言えると思う。それを法によって規制するのは重要なこと。でも、そんなロビー活動をやってる暇と資金があるなら、その労力をむしろ技術とシステムの開発に向けるべき。きとんとした転売の基準と、それを可能にするシステムを構築すれば、そこにも新たなビジネスが生まれるわけだから。そんな風に考えると、ナップスターはその後訪れる民主化のプロセス、その最初の火付け役だったんじゃないか。ある意味、フランス革命と同じ。フランスは血を流しながら民主制をかち取った国なわけで。そういうプロセスが欧米の多くにはあるんだけど、日本にはないという。

イリーガルなものに人が集まる状況は、それはピンチではなく新しい技術やシステムを創るチャンスなんだと考えてみます。イリーガルなものをキャンセルさせることに力とお金を使うのではなく、それを凌駕するリーガルなサービスを創る。うん。そっちに力を注ぎたいですね。そんなことを思うと新しい視点も生まれてきます。人が群がるイリーガルなサービスを探してみよう。そんな視点です。そして、それを凌駕するリーガルなサービスを創るのです。

少し前、ボクが関わるマーケティング業界では「キュレーションサイト問題」はそれだったかもしれません。問題が浮き彫りになって、少なくない数のキュレーションサイトが規制されキャンセルされましたが、そこに力を注ぐのではなく、それを凌駕する技術とシステムを考えるべきでした。たった今も、そんな問題があるかもしれません。今日からそんな視点を持って行動しようと、そんな気づきをストリーミング・サービスの普及の歴史から得ることができました : )

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