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2010s(トゥエンティテンズ):第1章~レディー・ガガとピッチフォークの時代|コロナ禍の今、レディオヘッドのライブ活動を顧みる

2010年代のポップカルチャーのメインストリームや、そこで起きた変化を解説する本「2010s」。1周目でチェックした部分を中心に、2周目を読み進めながら感想を記録していきます。

今回のブログでは、第1章の終盤で田中宗一郎(タナソー)さんと宇野惟正さんが話した2つの興味深いテーマを記録しておきます。ひとつは「インディロックは死んだのか」という話題の中にあった、マイノリティたちの活躍について。もうひとつは、そんな2010年代に輝き続けたレディオヘッドのスタンスについて。ボク自身、今の仕事や社会から感じるところがあった話題です。

2010年代は人種的にもジェンダー的にもマイノリティが主役になった

宇野 2010年代のポップ・カルチャーのダイナミズムというのは、人種的にもジェンダー的にもマイノリティが主役になっていくことによって生まれたわけですよね?他のジャンルに比べても担い手が若くて、産業としてのフットワークも軽い、つまりあらゆるジャンルにおいて先行指標となる音楽シーンとしては、ラップがインディロックに取って代わるのは当然の流れでもあった。

田中 もしかして今の宇野くんの話は、これまで何世紀にもわたって社会を支配してきた裕福な白人男性の表現に説得力がなくなっていった。そういう話?それなら同意できるけど。2010年代というのは、女性やLGBTQ、もしくは、ブラックやスパニッシュが牽引した時代なのは間違いない。(後略)

マーケティング。特に定性調査を中心に仕事にしていますが、マジョリティの声はもういらない。という風潮が2010年代には大きな流れになってきました。著者たちの言葉を借りると、裕福な白人男性が求める市場はもうないのかもしれません。これはボクの想いですが、これまでのマーケティングはいかに大衆(マジョリティ)をこちらに振り向かせるのか。という活動でした。今、そしてこれからはマイノリティの細やかな欲求にどれだけ気がつけるか、応えられるか。だと思っています。

そう思うと「あらゆるジャンルにおいて先行指標となる音楽シーン」という視点に注目するべきだと感じます。マーケティングに、ボクの仕事に活かせる話題でした。

レディオヘッドはできるだけ飛行機移動を減らして、気候変動に加担しないように努めている

田中 言いたかないけど、2010年代というのはレディオヘッドに象徴される価値観が次第に端に追いやられる時代でもあったってこと。それは何かというと、2010年代を通じてさらに浸透していった多国籍企業が牽引するグローバル資本主義に、真っ向から盾突こうという意思であり、ごく身近で切迫感のある問題意識から来るマイノリティの当事者性が次第に凌駕していった社会全体を見通そうとする客観性であり、本来の意味におけるリベラリズムだということ。

(中略)

レディオヘッドって、ここ3年間ぐらい単独講演はほぼやらず、主に世界中のフェスでツアーしてたでしょう。

(中略)

彼らの場合、できることならライブ・ネイションやAEGみたいなグローバル資本の息のかかっている会場でライブをしたくないし、チケットマスターを通してチケットを売りたくないわけ。しかも、一度に何万人ものオーディエンスの前でライブをすることで、できるだけ飛行機移動を減らして、自ら気候変動に加担しないように努めている。

大好きなレディオヘッドの話題。そして今だから気になる気候変動や移動に関わる話題。だから引用もつい長くなってしまいました。気候変動はグローバル資本主義におけるヒトやモノの移動の結果もたらされたと言われています。そして、今のコロナウイルスの世界的流行、つまりウイルスの世界的な移動も、グローバル資本主義による移動の文化がもたらしたものだと思っています。

レディオヘッドが、トム・ヨークがそれに抗い続けているということに胸が痛みます。日本にいるボクはサマーソニックやフジロックでレディオヘッドのライブに立ち会うことができました。数万人のオーディエンスと一緒に感じるレディオヘッドは忘れられない興奮を覚えます。その場にいたオーディエンスみんなに、レディオヘッドのこうした戦いの様子が伝わるといいなと思います。

2010年代はマイノリティが主役になった。と本書では言いますが、それは同時に「小さな声でも世界中に届くようになった」10年だったとボクは思います。大声を張り上げなくても、信念を持って、世界のために、家族のために行うアクションが世界中に伝播していくといいなと思います。

「2010s」の感想は「2010s/トゥエンティテンズ」のタグでまとめていきます