2010s(トゥエンティテンズ):第3章~スポティファイとライブ・ネイション―――民主化と寡占化

2010年代のポップカルチャーのメインストリームや、そこで起きた変化を解説する本「2010s」。1周目でチェックした部分を中心に、2周目を読み進めながら感想を記録していきます。

第3章は2010年代の音楽業界の変化の象徴として、スポティファイとライブ・ネイションについて取り上げています。この2社を現す言葉として、民主化と寡占化という言葉を使っているのだと思いますが、その対比とパラレルして今、この新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威の中で商業面における2社にはっきりとしたコントラストが現れています。

巣ごもり消費で契約者と伸ばすスポティファイと、ライブが開催できず、チケットも販売できないライブ・ネイションです。後者は経営陣の報酬カットも含めた徹底的なコストカットで対策するとうニュースを見ました。こういうブラック・スワンな状況下では、寡占化で自らを強化し続けてきた組織よりも、民主化してネットワークを広げていった組織の方が強いという、反脆弱性の説明が真に迫ってきます。

さて、本書ではそのスポティファイとライブ・ネイションの2社を象徴とした、グローバルにおける音楽業界の変化を「かつてとはほぼ別物になった」とまで言っています。そして、その構造変化に日本の音楽業界のみ歩調を合わすことができなかった。とも言います。その日本の音楽環境のガラパゴス化はいつ始まったのか。から3章の議論は始まります。

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日本の音楽環境のガラパゴス化はいつ始まったか?

宇野 じゃあ、まずはその文化的なねじれ現象、音楽環境のガラパゴス化はいつから始まったのか、というところから話をしていきましょうか。つまり、誰の責任において、ボタンのかけ違いが始まったのか?

田中 おいおい、俺は戦犯じゃないよ。

宇野 じゃあ、一体どこからボタンのかけ違いが始まったんだと思います?

田中 「スヌーザー」が終わった年からでしょ、そりゃ(笑)

宇野 いやいや、そこは自己批判的でいて下さいよ(笑)。バックストリート・ボーイズとかブリトニー・スピアーズとか、そういう白人ポップミュージックのマーケットは日本にも一方にありつつ、自分もそうですけど特にタナソーさんは、音楽雑誌メディアが主導する日本独自の洋楽マーケットの風土みたいなものを形成してきた当事者の一人であることは間違いないわけだから。

スヌーザー読者のボクにはめっちゃ楽しいやり取りです (^^)

何度も言いましたが2010年代のポップカルチャーにボクがついて行けなかったのは2011年のスヌーザーが廃刊になってしまったからです。そんな実体験を持ちつつ、この議論を聞いていると良くも悪くも「メディアがマーケットを主導する」というのはその通りなんだと実感しました。きっと今は違うと思います。メディアはマーケットを主導するほど強くはなくなった。その変化が2010年代にあったからエキサイティングだったとも言えます。

宇野 90年代以降で言っても、日本ではオアシスやブラーはものすごく多くのリスナーを獲得した。ニルヴァーナもアメリカからはちょっと遅れてものすごく大きな存在となった。その流れで、2000年代に入ると、どの雑誌もレディオヘッドを大きく扱うようになっていく。もちろんレディオヘッドは重要なバンドですが、当時の時代を形づくる重要なことは他にもいろいろ起きていた。そうやって90年代以前のやり方でメディアを運営していったツケが、10年後に2010年代が始まると同時にドッときたのいうのが自分の歴史観なんですけど。

田中 いや、申し訳ないけど、それは「ロッキング・オン」や「クロスビート」みたいな雑誌の話でしょ。「スヌーザー」は常にオルタナティブという価値観にアジャストしていたし、次世代の価値観を未来のオーディエンスに向けて発信していた。

宇野 でも、ストロークスにせよ、アークティック・モンキーズにせよ、明らかにレディオヘッド以降に日本の音楽雑誌が持ち上げてきたバンドって、これまでのような広いファンベースを形成するまでに至らなったじゃないですか。世代に関わらず、自分の周りにもアークティック・モンキーズが分水嶺になっている人が多くて。その頃から、洋楽ファンやロック・リスナーという括りがもはや同時代的には通用しなくなって、インディ・リスナーと呼ぶしかないような状況になっていった実感があります。

ボクはストロークスにもアークティック・モンキーズにも熱狂してきた人でした。この2つのバンドはきっとスヌーザーで知りました。そうじゃなくても、スヌーザーで魅力を理解したのは間違いないです。オアシスやブラー、ニルヴァーナももちろん聴いてきましたが、きっかけは音楽雑誌ではなかったと思います。レディオヘッドもきっかけは雑誌ではないけれど、その真の魅力を知ったのはスヌーザーのおかげでした。

で、ここでの議論は、音楽雑誌が90年代以前のやり方のまま常にロックの救世主たるビックバンドしかフックアップしてこなかったことが、日本のガラパゴス化の原因であるとうことですが、それはとてもよく分かります。2011年のスヌーザーの廃刊のあと、ボクは何冊も別の音楽雑誌を手に取りました。が、いずれもダメでした。まず、海外と日本のバンドを隔たりなく取り扱う雑誌がありません。それから、表紙に「今まで知らなったミュージシャン」が載っている雑誌もありません。シンプルにいうとこの2点ですかね。スヌーザーにはそれがありました。

ということで、これらの経験はスヌーザーへの称賛という意味だけでなく、日本の音楽環境をガラパゴス化したのは音楽メディアであることの実感です。そして、ガラパゴスではなくグローバルな環境を創るためにはやっぱり良質な音楽メディアが必要であった。ということだとボクは思います。2010年代、ポップカルチャーに距離を感じていたのはボクだけじゃないのかもしれません。引き続き、この2010sの感想をまとめながら、2010sに追いつきます : )

「2010s」の感想は「2010s/トゥエンティテンズ」のタグでまとめていきます
2010s(トゥエンティテンズ):第3章~スポティファイとライブ・ネイション―――民主化と寡占化

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この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

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