昨年末から史上最高のドラマシリーズと評判の「ブレイキング・バッド」を観はじめて、2月にシーズン6まで観終えました。その興奮のまま、ブレイキング・バッドのスピンオフドラマである「ベター・コール・ソウル」を観ています。今、公開されているのはシーズン5まで。次のシリーズが最終章であることが明かされています。
ブレイキング・バッドと同様に、アメリカ社会が直面する社会課題をふんだんに取り込み、ユーモラスかつ人間味が溢れる登場人物が右往左往と問題に直面し、乗り越えたり、失敗したりする様が描かれます。そして、本作はブレイキング・バッドの前日譚であるので、登場人物がいずれどうなってしまうのかを半分知りながら観るシチュエーションがまた興奮とほの悲しさを交互に味わう気分でハラハラと観ています。
最終章の手前までみて、カタルシスの香りがプンプンと漂ってきました。この興奮をまとめておきます。
ベター・コール・ソウル ―― 作品の背景について
ベター・コール・ソウルでは、アメリカの薬物問題、格差社会、資本主義経済社会へのイシューが描かれます。後日、ブレイキング・バッドの世界では犯罪へ加担することで財を成している本作の主人公「ソウル・グッドマン」ですが、前日譚のこの世界では、インチキもするけれど、まだ正義に燃える一面を持ち合わせた弁護士である「ジミー・マッギル」でした。
しかし、幼いころの犯罪まがいのいたずらやインチキの経験を、優秀な弁護士である兄「チャールズ・マッギル」にうとまれて、真っ当な弁護士としての道を歩もうとしても邪魔をされてしまうことが続きます。なかなか弁護士としてトップの層にたどり着けないソウルは、格差社会の底辺にいる人々が犯してしまった罪を無料弁護する法廷弁護人として生計を立てていますが、底辺にいる人たちと接することで、そこに存在する不条理を見聞きして、それらを正すことで自らの底辺からの脱出の機会を得ることにもなります。
幾度となくそんな機会をつかいみながらも、兄弟間の分断によってまた道を閉ざされてしまうソウル。そんなソウルはやがて、知らず知らずのうちに麻薬カルテルとの関わりを持ち始めるようになります。一度落ちたらなかなか這い上がれない、資本主義社会のアメリカにある格差の厳しさを何度も見せつけられるドラマになっています。
ベター・コール・ソウル ―― 作品のストーリーについて
大きなストーリーラインは2つ。1つがソウル・グッドマン=ジミー・マッギルが、兄チャックとの確執や大手弁護士事務所への加入、足と頭を使って得た大きな弁護案件かつ心を込めて取り組める仕事であるサンドパイパー老人ホームの案件、事務所の独立やチャックの死、弁護士資格のはく奪などを通して、麻薬カルテルとの関わりを持ち始めるストーリー。
もう1つは、ブレイキング・バッドでソウル・グッドマン、それから麻薬組織の元締め「ガス・フリング」の仕事人として登場し、いずれ「ウォルター・ホワイト」に殺害されることになる「マイク・エルマントラウト」が、過去の傷や家族との関わり、その家族のための金を得るために麻薬カルテルとの関わりを深めていくストーリー。この両者のストーリーが時おり重なり、それが深くなっていくことで、カタルシスへと進んでいきます。
物語の中では、ブレイキング・バッドには登場せず、本作ベター・コール・ソウルにおいて重要な役割かつ、魅力的な人物として描かれる2人にボクは注目したいです。それぞれ、ソウルとマイクのパートナーとして活躍する人物です。ひとりはソウルを信じて支え続け、シーズン5では伴侶となる女性弁護士の「キム・ウェクスラー」。もうひとりは麻薬カルテルの中にいながら、父親を守るために裏切り行為に奔走し、マイクを頼る「ナチョ・ヴァルガ」です。
キムは努力の中で自分をたたき上げた優秀な弁護士であり、上司・クライアントからも信頼の厚い人物です。真面目な性格でありながら、ともに下っ端時代から苦労を共にした腐れ縁持ち、突飛なアイデアと行動を繰り返すソウルになぜか好感を持ち、信じて支え続けます。大口のクライアントと、大手事務所での仕事を持ちながら、でも資本主義経済社会に疑問を持ち、格差社会の底辺にいる人たちの弁護に注力をするために、大きな仕事と事務所を手放してソウルと独立する道を選びます。しかし、シーズン5の最後では以前の事務所の上司であった「ハワード・ハムリン」を罠に掛けようというアイデアを思いつき、雲行きが怪しくなります。
ナチョは明晰な頭脳と、勇敢な行動が取れる麻薬カルテルの一味ですが、麻薬カルテルが厳格な自分の父を麻薬ビジネスに巻き込もうとすることに反感を持ち、カルテルを抜けようと画策し、マイクに接近します。その頭脳と行動力で、自らの組織のボス「ヘクター・サラマンカ」を再起不能な状態に陥れますが、そのヘクターの後釜としてやってきた「ラロ・サラマンカ」に手を焼き、敵対する一味のボス、ガスとマイクと手を組み、シーズン5の最後でラロの暗殺に踏み切りますが、ラロは生き延びてしまい、こちらも雲行きが大分悪くなります。
ブレイキング・バッドのストーリーは、好感が持てる登場人物が悪事に手を染め、しかし再び行動を正し、でもまた。。という風に、登場人物への敬意と失望が繰り返しやってきて、そこが面白く、またハラハラしましたが、本作ベター・コール・ソウルでは、主人公のソウルや、もうひとつのストーリーラインで主人公のようにふるまうマイク、そして前述の2人、キムとナチョは、ストーリーを追うごとに好感が増していくコントラストを感じていました。
そんな高好感度のキムとナチョの雲行きが怪しくなるところでシーズン5は終了します。そして興奮の最終章へ。ここで、ブレイキング・バッドにキムとナチョが登場してこないことを思い出し、冒頭に言ったようにほの悲しさが込み上げてきます。どうやら最終章では大きなカタルシスがやってきそうです。
ベター・コール・ソウル ―― 撮影と編集について
ブレイキング・バッドの編集と同様に、毎回の最初と最後がかっちょいいのがベター・コール・ソウルです。エピソードの最後のシーンを最初にチラ見せする、フラッシュフォワードという編集手法がよく活用されています。ベター・コール・ソウルのフラッシュフォワードの範囲はブレイキング・バッドにまで及ぶところが、前日譚であるこの物語が縦横無尽に時系列を行き来できる面白さでもあります。逆に編集の足かせにもなりかねない過去の話を後で観せるという時系列をとても緻密に、上手に計算し、ああ。今回のこのストーリーが、ブレイキング・バッドのここに繋がるんだというメタ視点の心地良さを感じることができます。
撮影については、荒野のシーンが印象的です。荒野のシーンは麻薬カルテルに関わるエピソード展開で使われることがほとんどですが、恐ろしいストーリーや銃撃戦などの激しいシーンも、引きの絵で美しく大きな荒野の中で行われている行為を映し出すことで、すべてが空虚で虚無感を感じる撮影になっています。それから、マイクが持つ狙撃中のスコープ越しに映される映像も印象に残ります。ここでも遠距離から、スコープ越しというメタ的視点で撮影することで、緊迫したシーンが少しコミカルで、またほの悲しい印象になって目に映ります。
こうした撮影方法と、そこで感じる感情は、やっぱりブレイキング・バッドで彼らたちがどうなってしまうのか。を視聴者は知っているからこそ湧き上がってくる気持ちなんだと思います。ハラハラとたくさんの興奮を与えてくれるけれど、でもメタな視点で観ていることを時折意識的に気付かせるように入れてくる。ベター・コール・ソウルのそんな楽しみ方に気が付いたころに、もう次は最終章です。ハラハラとしながら、でも少し寂しい気持ちを伴いつつ、次を待ちます : )
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