走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)|やってきて過ぎ去っていく雲のように想いをめぐらせながら、自分は弱い人間だと認識するためにボクは走る

ゴールデンウィークの前半に読んだ本のことです。村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」です。ハルキさんの長編はきっとすべて読んでいます。が、この本は見逃していました。

昨年の夏からランニングを続けてきて、もうライフワークになってきていると確信しつつ。でも、走り続けるということはなかなかに時間が取られることでもあって、これでいいのかな。なんて感じている今のボクこそ読むべきなのではと思い手に取りました。

その結果の読後感は。。なかなかに良いものでした。ハルキさんの特長であるバキバキにかっちょいいメタファーを交えつつ、走り続けることの意味と価値を感じることができました。特に胸に響いたエピソードをこのブログで記録しておきます。

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もっとも有益であり、大事な価値を持つ習慣だ。

僕は1982年の秋に走り始め、以来二十三年近く走り続けてきた。ほとんど毎日ジョギングをし、毎年最低一度はフル・マラソンを走り(計算すると今までに二十三回走っている)、そのほか世界各地で数え切れないくらい、長短様々の距離のレースに出場した。

長い距離を走ることはもともとの性格に合っていたし、走っていればただ楽しかった。走ることは、僕がこれまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中では、おそらくもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった。そして二十数年間途切れなく走り続けることによって、僕の身体と精神はおおむね良き方向に強化され形成されていった。

最初にハルキさんのランニング&マラソンの経歴を。こんなにレースに参加しているなんて。ここまで積極的な習慣であることは知りませんでした。後天的な習慣の中ではもっとも有益で大事な意味を持つとも。最大限の賛辞ですね。自分もそんな風に言えるようになれればと思います。

走っているときにどんなことを考えるのか。

走っているときにどんなことを考えるのかと、しばしば質問される。そういう質問をするのは、だいたいにおいて長い時間走った経験を持たない人々だ。そしてそのような質問をされるたびに、僕は深く考え込んでしまう。さて、いったい僕は走りながら何を考えているのだろう、と。正直なところ、自分がこれまで走りながら何を考えてきたのか、ろくすっぽ思い出せない。

走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体ではないものだ。僕らはそのような茫漠とした容物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、吞み込んでいくしかない。

ランニングをはじめて、2時間ぐらい走るようになったよ。と人に話すと「2時間も何を考えながら走っているの?」と聞かれます。さすがハルキさん。空の雲に似ている。まさにそんな様子で、テーマを限らずにいろんなことが頭に浮かび、すぐに違う話題に飛ぶ。そしてほとんど覚えていない。その通りです。

ボクの場合は最初は今日走ることを考えています。今日は気持ちよく走れるのかな。厳しいかな。なんて、そして厳しいといえば来月の売上予算は厳しいなぁ。なんて仕事に飛び、来週のあの面談をがんばらないと。そうだ、その面談では何着ていこうかな。あ、欲しいと思っていたあの靴を買おうかな。どうしようかな。なんて、着る服や買いたいものに飛んだり。だいたいそんな感じでやってきては過ぎ去っていく雲のように想いを巡らせながら走っています。

つらい時は走ろう。

いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。

腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って吞み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に吞み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。

このエピソードはボクに勇気を与えてくれます。つらい時に、悩んでいるときには走りたくなって、走ると少し元気になる。なんとなくそんな風に感じていました。それをちゃんと言語化してもらいました。その行為は自分の能力に限りがあることと弱い人間であることを認識することであり。またそうしたつらい行為を通すことで、ほんのわずかではあるけれど自分を強化したことになると感じるためのものであると。

なるほどそれはわかりやすい行為です。デスクの前やベッドの中で悶々と悩むくらいなら走って自分の能力の限界を認識して、少しつらい思いをして自分を強化した方がいい。

これからもそうして、やってきて過ぎ去っていく雲のように想いをめぐらせながら、自分は弱い人間だと認識するためにボクは走り続けたいと思います : )

走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)|やってきて過ぎ去っていく雲のように想いをめぐらせながら、自分は弱い人間だと認識するためにボクは走る

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この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

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