経営やサービス開発の道しるべに、少し先の未来を考えようと取り組んでいます。
ケヴィン・ケリーの「〈インターネット〉の次に来るもの」はテクノロジー界隈の今の技術と少し先の技術を俯瞰して見てみる、考えてみるのにとても参考になります。
彼は人々の行動を12の法則として整理し、こうした行動によってもたらされる未来を「不可避」なものと言います。12の法則は以下の通り。
- ビカミング(なっていく)
- コグニファイング(認知化していく)
- フローイング(流れていく)
- スクリーニング(画面で見ていく)
- アクセシング(接続していく)
- シェアリング(共有していく)
- フィルタリング(選別していく)
- リミクシング(リミックスしていく)
- インタラクティング(相互作用していく)
- トラッキング(追跡していく)
- クエスチョニング(質問していく)
- ビギニング(始まっていく)
いずれの単語も、その意味を少し見るだけで自分の行動や、自分の周辺にあるテクノロジーを表現するときのキーワードであることが理解できます。
トラッキング(追跡していく)
テクノロジーと規制は常にいたちごっこを繰り広げていて、でも未来から過去を振り返ると、その議論でさえ些細なものに感じられることは、今の世の中を俯瞰してみるとよくわかります。でも、IoTやフィンテックでさえ、導入に対して二の足を踏む生活者と、そんな生活者を過剰に捉えて躊躇する企業があります。
ケヴィン・ケリーはそういう状況をまたもや力強い言葉で看破してくれました。
デジタル・トラッキングによる定量化が、まったく新しい身体感覚に取り込まれたのだ。長い目で見れば、われわれの体中のセンサーから常に流れてくるデータの行き着く先はこういうことだろう。それらはもう数値ではなく、新しい感覚になる
デスクトップに代わるのは、新しい時系列な流れだ。ウェブブラウザーではなくストリームブラウザーだ
ライフログのポイントは、すべてを呼び戻せる点だ。もしライフログが人生のすべてを記録していれば、自分の生物の頭では忘れていたとしても、経験したことを何でも再生できる。それはまるで、自分の人生をグーグル検索できるようなもので、実際にあなたの人生には次々と索引が付けられすべてが保存される
共監視社会では一つの権利の感覚が生まれるだろう──誰もが人間として、自分自身のデータにアクセスできる権利、そしてそのデータから利益を得る権利だ。しかしどんな権利にも義務が伴うわけで、誰もが情報の全体性を尊重し、シェアすることに責任を持ち、監視している相手から監視されることが義務となる
現在のソーシャルメディアが教えてくれるのは、シェアしたいという人類の衝動が、プライバシーを守りたいという気持ちを上回っているということだ。これは専門家をも驚かせた。今までのところ、選択ができる分岐点に来るたびに、われわれは平均的にはよりシェアし、よりオープンで透明な方向へと向かう傾向にある。それを一言で表すならこうだ──虚栄がプライバシーを凌駕している
追跡・監視されることが恐怖に思えるのか、快適に思えるのか。その感覚がいずれ「快」に向かうことをケヴィン・ケリーは予言しています。
ソーシャルメディアの普及が教えてくれることとして、説得力ある言葉で社会は平均的によりオープンな方向に向かう。と言いのけます。ならばと、次のヒントは過剰なぐらいの情報トラッキングを考える。もしくはトラッキングできないものを考える。ということではないかと思いました : )
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