♪01 Redemption Song

ボブの物語を、ボブの”死”、その時から始めます。

それはボブの歴史を紡ぐ上で、とてもシンボリックな場面です。
このブログのタイトルの由来にもなる出来事です。死したボブが、ジャマイカの国民、世界中のファンに語らせるMarleyLive!のメッセージ。

1981年5月11日。

ボブは生まれ故郷のジャマイカから遠く離れたマイアミで亡くなりました。まだ、36歳の若さでした。

♪♪♪

死因は大好きだったサッカー中の怪我が元で、つま先にできた悪性の腫瘍。もっと早く治療を受けていれば助かったかもしれません。

だけど。ボブは自分が信じるラスタファリズムの戒律を遵守し、自分の体にメスを入れることを拒み続け、倒れて担ぎ込まれるまで病院には行こうとはしませんでした。その時はすでに、ボブの体に宿った病魔の進行状態は、誰にも止めることができないものとなっていました。

同年5月21日。ボブの遺体はマイアミからジャマイカへと運ばれ、盛大な国葬が行われました。一人のレゲエアーティストを、ジャマイカの国民が全土をあげて偲びます。その様子は全世界に発信され、ボブの伝説は死してなお全世界に駆け巡ることになります。

ジャマイカの首都キングストンでの盛大な国葬の後には、ボブの生まれた故郷であり、埋葬先である「ナイン・マイルズ」まで車で遺体が運ばれます。車の通り道の沿道には、ジャマイカ国中から多くの人が集まりました。

キングストンでの国葬の会場に訪れることができなかった、ジャマイカの貧しい人たちを中心に、キングストンから小高い丘にあるナイン・マイルズまで人の道ができます。ジャマイカの人々が溢れる、舗装もされていないデコボコな道を、ボブを乗せた車はゆっくり走ります。沿道の人々は一様に笑顔でした。陽気にレゲエミュージックを歌いながら、ジャマイカに帰ってきた棺の中のボブにお帰りと手を振りました。

その光景は葬儀より、英雄の凱旋といった雰囲気です。

沿道の人々は、小さい子供からお年寄りまで、みんな信じて疑いませんでした。私たちのボブはまだ生きていると。ボブがかつてラスタの神ハイレ・セラシエ1世のために歌ったJah Live!のリリックと同じように。

このときボブもまた人々にMarley Live!と歌われたのでした。

ボブのはとても印象的な場面です。死せるボブをジャマイカの人々が笑顔で迎えます。ボブがかつて信じるもののために歌った最高の言葉を、ジャマイカの人々がボブに向けて歌います。ボブ・マーリィのヒストリーのハイライトであり、また第二章の始まりでもあります。ここで改めて、ボブは伝説となり、さらなるヴァイブレーションで全世界を揺るがすことになるのです。

Redemption Song♪♪♪

Old pirates yes they rob
Sold I to the merchant ships
Minutes after they took I from the Bottom less pit
But my hand was made strong
By the hand of the almeghty
We forward in this generation triumphantly

All I ever had is songs of freedom

Emancipate your seleves from mental slavery
None but ourselves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none a them can stop the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Yes some say it’s just a part of it
We’ve got to fulfill the book

Won’t you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had redemption songs
All I ever had redemption songs
These songs of freedom songs of freedom

救いの歌♪♪♪

昔 略奪者達は私を力で押さえつけ 奴隷商人の船に売り払った
そして 絶望のどん底であった私は奴らに連れて行かれた
でも 私のこの手は頑丈にできている 全能の神が授けてくれた手だ
大いなる誇りを持って 私はこの時代を前へと進んでいこう

私が今まで唄ってきた歌はすべて救いの歌なんだ

鎖でつながれた 心 解き放てよ
恐れるな 原子エネルギー 時は止められないのさ

長い間 奴らは私たちの先導者を殺しつづけてきた
私たちはただ傍観するしかなかった
でも誰かが言った 大丈夫 それは聖書に書かれていることだと
だから 私たちはその聖書を完成させなければならない

この自由の歌をともに唄ってくれないか
私が今までうたってきたのはすべて救いの歌だけだ
そう 私の歌は救いの歌

※訳文は筆者の勝手な解釈を含みます。ご了承ください。

Redemption Song(救いの歌)は、ボブがボブ自身を歌った詩です。

ボブはイギリスの植民地時代のジャマイカを生きました。ジャマイカ人の母と、イギリス人の父(ボブが生まれてすぐ、本国へと帰ってしまった)との間に生まれ、長い間虐げられてきました。

♪These songs of freedom

ボブのジャマイカの解放と彼のルーツであるアフリカへの回帰の想いを歌った、人生を賭けた声明文のような詩です。人々に愛され、それゆえに一方で利用され続けたボブ・マーリィ。ボブがを迎えたとき、ジャマイカの人々は笑顔でそれを受け容れ、そしてMarley Live!と歌いました。

この場面をもって、ボブは本当の救いの時を迎えられたのでしょうか。ボブのストーリーは続きます。その聖書を完成させるまで。

Jah Rastafari!

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この記事を書いた人

マーケティングに関わる仕事に20年以上携わっています。感銘を受けたポップカルチャーをマーケティング視点で記録したり、日々の暮らしや身に着けているもの、健康・投資について記録するためにブログを活用しています。

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