伊坂幸太郎の少し前の作品「砂漠」を読んでいます。伊坂らしい穏やかな主人公「北村」と、その大学の同級生と、アパレル店員の彼女が織り成す物語。
北村は鳥瞰型の性格を持って、多くの知識を表に出さず、穏やかに周囲の人間を見守る。伊坂の作品によくある、ギャーギャーうるさいボクのような男性があこがれるシニカルなキャラクターです。かっこいいです。そして、本作のキーキャラクターであろう「西嶋」が、かっこ悪くてかっこいい。今のところ、そこが魅力の小説です。
左よりで、アメリカの中東派兵を憂い。パンク、というよりも、ジョーイ・ラモーンとジョー・ストラマーを愛する。モラルや常識を考える前に、目の前に哀しい何かがいるのならば迷わずにバンバン助けちゃえばいいんです。という西嶋の台詞がいいんです。
小太りとかメガネとか。より語尾に力を込めるための敬語の使い方とか。モデルはサンボマスターかな?そんな彼の、三島由紀夫の自決の場面への想い。
そこまでして何かを伝えようとした、という事実が衝撃なんですよ。しかも伝わらなかったんだから、衝撃の二乗ですよ。別に俺は、あの事件に詳しいわけじゃないですけどね、きっと、後で、利口ぶった学者や文化人がね、あれは、演出された自決だった、とか、ナルシシストの天才がおかしくなっただけ、とかね、言い捨てたに違いないんですよ。でもね、もっと驚かないといけないのはね、一人の人間が、本気で伝えたいことも伝わらない、っていうこの事実ですよ。
三島由紀夫を、馬鹿、と一刀両断で切り捨てた奴らもね、心のどこかでは、自分が本気を出せば、言いたいことが伝わるんだ、と思ってるはずですよ。絶対に。インターネットで意見を発信している人々もね、大新聞で偉そうな記事を書いている人だって、テレビ番組を作っている人や小説家だってね、やろうと思えば、本心が届くと過信しているんですよ。今は、本気を出していないだけで、その気になれば、理解を得られるはずだってね。
でもね、三島由紀夫に無理だったのに、腹を切る覚悟でも声が届かないのに、あんなところで拡声器で叫んでも、難しいんですよ。
北村やその仲間たちは、西嶋の融通の利かない想いの強さに、最初は辟易としながらも、次第に彼の魅力に気づいていきます。主人公たちが西嶋の評する言葉は「彼が一番自分が無力であることを知っていて、一番それを悔いている」という評価です。
三島由紀夫に対するこの言葉は、西嶋が感じる自分の無力さを代弁するようでした。普通の大学生が、ちょっと普通じゃない出来事に遭遇して。そのたびに西嶋が発する左よりでパンクで慈愛に満ちた台詞がじわじわときます。続きの西嶋に期待します (^^)
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