「新しい市場のつくりかた」からの小ネタです。
携帯電話のストラップに「デザイン」をはじめて施したのは、台東区千束三丁目にある靴ひもメーカーでした。この千束三丁目は別名「吉原」と呼ばれています。吉原に古くからある、靴ひもメーカーのおかみさんの、携帯ストラップの開発秘話です。
I社の専務にして社長夫人の和子さんがコーヒーを飲みながら資金繰りについて悩んでいたときに、隣では風俗嬢がそのとき普及し始めた携帯電話のストラップについて愚痴をこぼしていました。
「なんで電気屋さんが付けてくれるストラップって、あんなに安っぽいものばかりなのかしら?」
その頃の携帯ストラップは、メーカーがおまけでつけてくれる樹脂製の安っぽいものばかりで、ブランド品で身を固めた風俗嬢たちには、自分の身の回りでそれが一番みすぼらしいものだったのです。それを聞いた和子専務は思いつきました。「うちの工場で扱っている靴ひもをちょっと加工して金具を付ければ、そのままストラップになるじゃないの!」
高級な革でストラップをつくれば、このお姉さんたちがたくさん買ってくれるのではないか、と思い立った和子さんはさっそく試作品をつくりました。そしてNTTドコモへ飛び込み営業に行き、最初は門前払いされるなどの苦労の末、少しずつ高級革製のストラップは世の中に広まっていきました。それが日本で一番最初につくられた携帯電話用の革製ストラップだったのです。ある晩、I家に一本の電話がありました。「今すぐ8チャンネルを見て」、と急いでテレビをつけた和子さんが見たものは、I社のつくった花柄のストラップを付けたケータイで電話を掛ける深田恭子さんの姿でした。それは当時大人気のフジテレビのドラマ『神様、もう少しだけ』のワンシーンで、そこで同社の商品が主人公が使う小道具として使われたのです。別にメーカーの側からテレビ局に売り込んだわけではありません。その頃、女子高生が求めていたカワイげなデザインを最も体現していたのが、同社の商品だったのです。
吉原の風俗嬢の話が印象に残りますが、和子専務のアクションの成果は「フィールドに飛び込んで」「生活者の声を聴く」ということに他なりません。新市場の商品開発に大切なアクションです。
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