昨年末から楽しみにしていた本「2010s(トゥエンティテンズ)」の1周目を読み終えました。
実はもう1か月も前に読み終えているのだけれど、最初の感想(このブログ記事)にたどり着くまでに大分時間がかかってしまいました。それはロマンティックな理由ではなくて、2010sが電子書籍ではなかったため。普段読む本はもうほとんどが電子書籍で、読みながらハイライトを残して、ハイライトをたどりながらブログに整理していく。こんなフローでやっているので、なんなら読んでいる途中でもレビューやまとめを書きはじめられるのです。
が、この2010sは紙書籍のみの発売。久しぶりに読書→感想のペースを乱されつつ、かつハイコンテクストな会話の応酬なもので1周目を読み終えただけではブログでの整理になかなか入れずにいました。なかなか難解な2010sですが、それも楽しさと考えて、ドッグイヤーしている箇所を中心に2周目を読みつつ、ゆっくりとブログに感想を残していきたいと思います。
さて、そんな2010sは音楽評論家の「田中宗一郎(タナソー)さん」と、映画・音楽ジャーナリストの「宇野維正(ウノコレ)さん」の対談形式で記された、2010年代のポップカルチャーのメインストリームや、そこで起きた変化を解説する本です。
お二人は2010年代のポップカルチャーは最高にエキサイティングだった。と語りますが、ボクにとって2010年代はポップカルチャーの道標を失った10年でした。その大きな要因は、まさにこの本の著者であるタナソーさんにあって。彼が編集長をしていた音楽雑誌「snoozer(スヌーザー)」が2011年に廃刊したこと、それまで10年間のポップミュージックの情報源としてこの本を頼ってきたボクはそこから自然とポップミュージックおよびポップカルチャー全般との距離ができてしまうことになります。
そんな動揺を2011年のボクはタナソーさんに向けてツイートしていました。探してみたらちゃんと残ってました。懐かしい。
@soichiro_tanaka スヌーザーがなくなったら、権力に左右されずに、世界中の良質な音楽の情報を得るために、ボクらはどの音楽誌を読めばいいですか?どんなアクションをすればいいですか?
— ryu.fnkb (@ryufnkb) May 11, 2011
タナソーさんから丁寧にリツートももらってましたね。ありがたいお話です。だから、今でも彼の言葉が好きですし信頼をしています。
@ryufnkb わお。ごめんなさいね。でも、何かしらの形で戻ってきます。必ず。
— 田中宗一郎『2010s』3刷出来🙇♂️ (@soichiro_tanaka) May 11, 2011
で、再び昨年から「POPLIFE:ThePodcast」というポッドキャストと、今年にはこの2010sという本でタナソーさんの言葉に触れることができ、ボクのポップカルチャー熱が戻ってきました。この10年を取り戻すべく、この本をリファレンスにしてラップ・ヒップホップを中心に音楽と、MCU:アベンジャーズを中心に映画を見聞きしています。仕事も家族の用事も忙しく、時間はあんまり取れないけど、寝る間を惜しんで体に取り入れています。
そんな刺激を受けているこの本の感想を徐々にブログで整理していきたいと思っています。が、今回は本書の「はじめに」に書かれていた宇野維正さんのこの一言だけ。
「日本はそれでもいいじゃないか」という考え、さらには「それこそが日本のカルチャーの独自性じゃないか」という考えもあるだろう。そのような現在の日本社会に蔓延している何の根拠もない「自己肯定感」とは、慎重に距離を置いた本になっている
snoozerという道標を失った10年。同時に仕事が楽しく、忙しくなった10年。子どもが2人生まれた10年。そんなボクの「自己肯定感」も言い当てられた気がしてハっとします。この本では、日本以外の世界のポップカルチャーのリファレンス先が縦横無尽に広がっていると言います。
そこには世界で起きている運動や社会課題がテーマとしてメッセージされています。そこに目を向けず、気が付かなかったボクの10年。自分の周辺のまあまあ順調な環境だけで自己肯定してしまっていた10年にちょっとした危機感と、でも気が付かなった10年の変化を体に取り込んで、自分の行動を変えてやろうとワクワクする気持ちの両方がこの本を手に取る心の中にはあります。
さて、もう1周読んでみて、その心の中を整理できればいいなと思います : )