2010年代のポップカルチャーのメインストリームや、そこで起きた変化を解説する本「2010s」。1周目でチェックした部分を中心に、2周目を読み進めながら感想を記録していきます。
第2章は2010年代のミュージックシーンを席捲したラップミュージックについて。2011年にsnoozerが廃刊になり、ポップカルチャーの羅針盤を失ったボクの音楽が、インディロックから更新されずに見落としてしまったフィールドです。思春期の頃には、周囲の同年代は誰も聴いていなかったボブ・マーリィに酔心し、虐げられるカラードの歴史をさかのぼってまで体中に取り込んだボクなのに。。
知らずに過ぎてしまったブラック・カルチャーの影響力が世界に轟く10年を振り返るために記録しておきます。
革新的なアートか、産業/メディアとしての拡大欲求か
田中 もしこの10年を代表する1曲を選ぶとしたら、ケンドリック・ラマーの「Alright」の名前を誰もが挙げると思うんですよ。社会的な影響だけじゃなく、ビートやサウンド。リリックのフロウや内容―――あらゆる意味で2010年代というディケイドの光の部分の象徴だったと言えると思う。(後略)
宇野 (前略)タナソーさんが2019年の夏頃に言っていたのは、「自分にとって今のヒップホップの評価軸は二つあって、ひとつはアートフォームとしての評価。もうひとつはカルチャーとしてのダイナミズム」なだ、と。
田中 その二つを兼ねそなえていた。もう少し補足すると、2010年代のヒップホップ/ラップは、「革新的なアートフォームとしての役割」と「産業/メディアとしての拡大欲求」との間で激しく揺れ動きながら進んできたと思う。そして、その二つが合わさることによって、グローバル・カルチャーのまさに中心として発展し、絶大な社会的影響力を獲得することになった。まずはそこに大興奮してたんです。だからこそ、俺の興味の中心にあったのは、従来の意味におけるヒップホップというよりは、ポップとしてのラップ音楽だし、音楽的な進化だし、第1章でも話したメインストリームとアンダーグラウンドの垣根が壊れたことで、ポップとも共振しながらもたらされた文化的な波及力だったと言えると思う。
なるほど、ボクが大好きなレゲエ/ボブ・マーリィと一緒ですね。アートフォームとして評価され、カルチャーとして認知されたことで、国や政党の基盤さえ揺るがすほどの影響力を持ってしまったのがボブ・マーリィです。2010年代のヒップホップ/ラップはマイノリティたちが声を発する場所が増え、リアルタイムに発言が共有され大きく聴こえてくる新しい環境の中でポピュラー・ミュージックに成っていったのだと理解しました。
追体験するだけでなかなかにエキサイティングです。リアルタイムに感じておきたかったと少し後悔します。
ブラック・カルチャーが搾取されてきたシステムがようやく書き換えられ始めた
宇野 (前略)カウンター・カルチャーとして若者に支持されることで世界中で爆発的に広まったロックは、パンクやニューウェーブやグランジといったムーブメントの中で何度かリセットを図りましたが、結局は誕生から40年ほどでカウンター・カルチャーとしての役割は終えた。
一方で、ラップはそのアートフォームの成り立ちそのものにカウンター性を内包していたから、売れることでカウンター性を失うどころか、むしろ売れることによってカウンター性がさらに強化されていく。自分がいかにタ金を稼いでいるか、高い車に乗っているか、いい女をはべらせているかというのを見せびらかすこと、それだけで白人男性によって作られてきた社会に対するひとつのカウンターになる。その構造は、社会が抜本的に変わらない以上、どんなにラップがメイン・カルチャーになったとしても変わらないわけで。田中 うーん、それって俺にはミイラ取りがミイラになった、みたいな話にしか聴こえないけどな。俺の理想はネルソン・マンデラだから。ただ、俺なりに宇野くんの今の文脈に乗るとしたら、モータウン時代からディスティニー・チャイルドの時代まで、あるいはエディ・マーフィーにせよスパイク・リーにせよ、どんなにブラック・カルチャーがメインストリームで受け入れられても、結局のところはユダヤ系、ヨーロッパ系、中東系の資本が所有するエンターテインメント企業の手の平の上であからさまに搾取されてきたわけだよね。でも、ラッパーやプロデューサーたちによって、そうしたシステムがこの2010年代にようやく書き換えられ始めた。それは間違いない。
宇野 ようやく同意点が見つかりましたね。
2010年代はマイノリティの声がリアルタイムに世界中に響くようになったことに加え、ポップ・カルチャーがもたらす利益を発信者がダイレクトに受け取ることができるようになった10年でもあったことに気が付きます。あれだけ名声を集めたボブ・マーリィが「奴らは満腹。俺たちゃ腹ペコ。」と唄っていたことを思い出します。
こうしたブラック・カルチャーを取り巻く環境を理解しながら、2010年代を振り返るとその背景が重なってきます。2010年代の前半はソーシャルメディアを中心に世界中の誰もが声を発する環境と、その声を増幅させるネットワーク&プラットフォームが生まれ、育った時代でした。そして、2010年代の後半は世界中に声を届ける術を持った民衆が、ダイレクトにその対価を得ることができるプラットフォームが整いました。
そう、この10年は発信する民衆を支えるプラットフォームとネットワークができたディケイドでした。ボクはその興奮をマーケティングの現場で感じていたけど、そうかアーティスト、特に搾取されてきたカラードの表現者たちには特別にエキサイティングな2010年代だったんだなと気づかされました : )