経営やサービス開発の道しるべに、少し先の未来を考えようと取り組んでいます。
ケヴィン・ケリーの「〈インターネット〉の次に来るもの」はテクノロジー界隈の今の技術と少し先の技術を俯瞰して見てみる、考えてみるのにとても参考になります。
彼は人々の行動を12の法則として整理し、こうした行動によってもたらされる未来を「不可避」なものと言います。12の法則は以下の通り。
- ビカミング(なっていく)
- コグニファイング(認知化していく)
- フローイング(流れていく)
- スクリーニング(画面で見ていく)
- アクセシング(接続していく)
- シェアリング(共有していく)
- フィルタリング(選別していく)
- リミクシング(リミックスしていく)
- インタラクティング(相互作用していく)
- トラッキング(追跡していく)
- クエスチョニング(質問していく)
- ビギニング(始まっていく)
いずれの単語も、その意味を少し見るだけで自分の行動や、自分の周辺にあるテクノロジーを表現するときのキーワードであることが理解できます。
シェアリング(共有していく)
ソーシャルメディアが一般化し、シェアのマインドは当然の強さとして認識していたつもりですが、ここではまた新たな気づきがありました。
ツイッターやフェイスブックで流通しているコンテンツは、無給の投稿者たち──つまり、あなたのことだ──によって作られる。そしてバーロウが所有の欠如について語ったことも、前章で述べたように正しい。ネットフリックスやスポティファイなどの共有経済的なサービスによって、視聴者は何も所有しなくなっていっている
ここでは所有の反対の意味として「共有」を扱っています。共有は大切な概念だけど「所有しないこと」というと、より研ぎ澄まされて次のアイデアにつながる印象です。
マーケティングのプラットフォームを考えるときには、シェア前提で考えてみる。企業が創らない。無給の投稿者たちによってコンテンツが成り立つ仕組みを創る。と言ってみたくなります。
未来の世界はウィキペディアと例えばスウェーデンのような穏健な社会主義のいいとこ取りをしたハイブリッドになる。この流れに対しては懐疑派による深刻な揺り戻しがあるかもしれないが、シェアが増えていくことは不可避だ。それをどう呼ぶべきかについては率直な論議もあるが、シェアリング・テクノロジーはまだ始まったばかりだ。
私の想像上のシェア測定目盛りはまだ10段階の2だ。かつて専門家がわれわれ現代人にはシェア不可能だと考えたもの──お金や健康、性生活、心の奥底の不安など──の長いリストについても、適切なテクノロジーによって正当な恩恵が得られ、正しい条件が整えば、われわれはすべて共有することになるだろう
ここも事業アイデアを考えるにあたって、そのフォーカスを研ぎ澄ましてくれる示唆にあふれています。シェア不可能だと考えたものさえ共有される。という視点から発想を巡らせてみると、まだまだチャンスが眠っていると気づかされます。
これまで思っていた「共有すること」の範囲を、もう3周りぐらい大きく捉えて、考えてみようと思います : )