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コンビニ人間/村田沙耶香~マーケティング的に読み解くと、その道のプロフェッショナルは「聞く力」を持つ人のこと

2016年の芥川賞受賞作品である「コンビニ人間」を読みました。

話題作だけど今まで手にとっておらず、会社の有志で取り組んでいるマーケティング勉強会の課題図書になったのがきっかけで読み進めました。なので読後のレビューは少しマーケティング視点で書いてみます。

まず驚いたのが冒頭のこの一節です。

売り場のペットボトルが一つ売れ、代わりに奥にあるペットボトルがローラーで流れてくるカラララ、という小さい音に顔をあげる。冷えた飲み物を最後にとってレジに向かうお客が多いため、その音に反応して身体が勝手に動くのだ。ミネラルウォーターを手に持った女性客がまだレジに行かずにデザートを物色しているのを確認すると、手元に視線を戻す。

店内に散らばっている無数の音たちから情報を拾いながら、私の身体は納品されたばかりのおにぎりを並べている。

なんともコンビニの情景がありありと目に浮かんでくる描写です。あとから気づくと、人の感情を捉えるのが苦手な主人公だからこそ、そこにある音・映像・情報の事実のみを描写しているからこその臨場感だと感じました。

その後もコンビニの情景が驚くように伝わる表現が続きます。

客の細かい仕草や視線を自動的に読み取って、身体は反射的に動く。耳と目は客の小さな動きや意思をキャッチする大切なセンサーになる。必要以上に観察して不快にさせてしまわないよう細心の注意を払いながら、キャッチした情報に従って素早く手を動かす。

朝、こうしてコンビニのパンを食べて、昼ごはんは休憩中にコンビニのおにぎりとファーストフードを食べ、夜も、疲れているときはそのまま店のものを買って帰ることが多い。2リットルのペットボトルの水は、働いている間に半分ほど飲み終え、そのままエコバッグに入れて持ち帰り、夜までそれを飲んで過ごす。私の身体の殆どが、このコンビニの食料でできているのだと思うと、自分が、雑貨の棚やコーヒーマシーンと同じ、この店の一部であるかのように感じられる。

店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。  それが「変わらない」ということなのかもしれない。私はそんなことを考えながら、「390円です!」と、張り上げた声で女性客に告げた。

コンビニの情景がありありと見えてくるのと同時に、「魔法みたい」と評されたように、主人公がその場の状況に対して最良の行動をとるコンビニのプロフェッショナルであることが見えてきました。

それを彼女は

私にはコンビニの「声」が聞こえて止まらなかった。コンビニがなりたがっている形、お店に必要なこと、それらが私の中に流れ込んでくるのだった。私ではなく、コンビニが喋っているのだった。私はコンビニからの天啓を伝達しているだけなのだった。

と表現します。背筋がゾワッとしました。こんな考え方はコンビニに限らずに、その道のプロフェッショナルとはこんな人であると考えてみたくなります。

そして、こういうプロフェッショナルになるためには「徹底的に体験(エスノグラフ)すること」が効果的であると気づかされます。マーケティングでは「クチコミの力」や「リサーチとしてのエスノグラフィ」の評価が高まっています。

コンビニ人間」はそんなマーケティングの有用性を上手に伝える方法になるのかも。と思いました。なかなか衝撃的で楽しい作品です :)

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