映像作品に込められた社会課題に注目しつつ「ゲーム・オブ・スローンズ」を観て、「MCUのアベンジャーズシリーズ」「ウォッチメン」と続けて、遅ればせながらHBOのドラマシリーズ「ウエストワールド」を観はじめています。
そんな世界における、人間(ゲスト)とアンドロイド(ホスト)の関係をモヤモヤとした気分で観続けて、ようやくシーズン1の終盤に差し掛かったところで、アメリカのミネソタ州の人種差別問題に端を発する黒人による暴動が現実社会で起きました。何百年と続く人種差別問題は、2010年代に「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大切だ)」というメッセージとともに改めて大きな社会運動となり広がりました。
そして2020年代のはじまり、このタイミングでまた「ブラック・ライヴズ・マター」のメッセージが世界を駆け巡っています。ボクが観ているウエストワールドの世界では、それまでゲストに為されるがままに、命も尊厳も軽視され続けていたホストの一部が自我に目覚め、その社会・存在を変えようと行動をはじめました。「ホスト・ライヴズ・マター(ホストの命も大切だ)」そんなスローガンを行動するホストの背景に掲げて観たいと思います。
ウエストワールドに込められた社会課題
ゲーム・オブ・スローンズやアベンジャーズシリーズには、気候変動や格差社会、兵器問題などの社会課題が作品のテーマやキャラクターをメタファーに使ってまぶされていましたが、ウエストワールドは人間そのもののアンドロイドの世界を設定にすることで、良し悪しはありますがより直接的に社会課題が作中で描かれています。
前述の通り、ゲスト(人間)とホスト(アンドロイド)間の格差社会問題。その社会の中における、銃規制問題、ジェンダー問題、満たされた人間たちのリバタリアニズム(自由至上主義)。ウエストワールドの管理者たちのグローバル資本主義経済の対立問題、監視社会に対する問題。管理者とゲストに反旗を翻すアンドロイドたちのシンギュラリティ問題。
人間と人間のドラマでは描きづらい社会課題を、人間とほぼ人間に見えるアンドロイドとの関係の中で描くことで、直接的な目を覆いたくなるような映像表現で訴えてきます。それが良いとは決して言いませんが。。現在、シーズン3まで完結していて、その後も続くドラマシリーズです。ブラック・ライヴズ・マターの運動の高まりを背景に、今後のシナリオが変わる可能性もあります。どのような社会課題が語られるのか、続けて観ていきます。
ウエストワールドの興味深い表現方法
ここまではウエストワールドのテーマ・ストーリーについて書きましたが、ドラマシリーズだからこそ作ることができる表現方法についてもメモしておきます。
ウエストワールドの世界では、ホストの記憶は一定周期(1日単位?)で消されて、同じ日常を繰り返し生活しています。農場の娘「ドロレス」は毎朝ベッドで目覚め、家の外のデッキに腰かけている父親に声を掛け、街に買い出しに出かけます。買い出しを終えて馬に乗ろうとするところでひとつ缶詰を落とし、それを拾ってくれる男性と会話を交わします。
娼館の女亭主「メイブ」は毎朝ベッドで目覚めた後に、娼館へと向かいます。その途中、彼女の背後では言い争う男性が2人、一人が銃を抜いて相手に発砲します。娼館につくと、自動演奏ピアノが音楽を奏ではじめ、娼館の従業員「クレメンタイン」と会話を交わします。
こんなシーンが何度もリフレインされて物語が進行していきます。ただし、ドロレスの落とした缶詰を拾ってくれる男性が異なっていたり、メイブが発砲シーンでとるリアクションが変わっていったり、娼館で流れるピアノの楽曲が変わっていたり。と、少しずつ差異があり、変化を示唆する内容になっています。映画よりも時間をかけて時系列を際立たせることができるドラマシリーズだからこその表現方法で興味深いです。
それから、娼館で流れる自動演奏ピアノの楽曲がとても好みです。ローリング・ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」やレディオヘッドの「ノー・サプライゼス」、キュアーの「フォレスト」などのピアノアレンジを聴くことができます。
このブログは、シーズン1のエピソード9まで観終えたところで書き終えました。残りのエピソードはひとつだけ、シーズン1のクライマックスです。自分がアンドロイドであることを認識し、行動を起こしたドロレス、メイブ、そして「バーナード」はシーズン1の最後で「ホスト・ライヴズ・マター」な権利を得ることができるのか。もしくは何かを失ってしまうのか。楽しみに観つつ、シーズン2~3にも突入していきます : )