2020年の1月からTBSで放送されていた「テセウスの船」の再放送を家族にススメられて一気に観ました。
もともとはリアルタイムで妻と子どもが観ていて、次の展開や結末についてあーだこーだと話ししているのを面白く傍らで聞いていました。それが、この5月の緊急事態宣言期間に再放送されるという話を妻が聞きつけて、全部録画するから今度はパパも一緒に観てみてよ。ということで。外出自粛期間の2回の週末を利用して観てみました。
ドラマは面白かったです。ストーリーは冤罪で30年間投獄されている男の息子が、過去に戻って父親とともに事件を防ぎつつ、真犯人を見つけるという話です。最近覚えたての視点ですが「決定論」と「自由意志」という仮説を頭の片隅に置きながら観ていました。主人公の「心(しん)」は、決定している未来を自分の意志で変えようと必死で行動を起こします。
結果は、未来は2度も変わります(笑)
この辺りはとても興味深かったです。ドラマの中では、主人公の心は現在と過去を自分の意志で行き来することはできません。突然過去に戻って行動を起こし、突然現在に帰ってきます。1度目に現在に帰ってきたときには、その前の現在よりも状況は悪くなっていました。心の意思と行動によって、決定した未来が変わることが分かったのですが、それは望んだものとは違い果たしてこれが「自由意志」と言えるのだろうか。と自由意志と決定論に想いをはせます。
自由意志と決定論を意識して観た最近の作品では「ウォッチメン」がそうです。ウォッチメンでは決定したあまり良くない未来は変えられない前提で、スーパーヒーローの「Mr.マンハッタン」はその未来を周囲の大切な人たちが良い形で受け入れられるように意思を持って行動しました。そしてやはり未来は変えられず、でも彼が守ろうとした人たちはその未来を良い形で受け入れることができました。決定論は変えられない、という結末が悲しいけれど自由にできない制限の中でのドラマにぐっときました。
https://ryu.jpn.com/archives/12464
一方でテセウスの船は、一生懸命だけどいろいろ間違いだろ。って行動も度々みられる心によって未来が書き換えられていきます。自業自得な部分も多々あって、その辺りはファニーだなぁと思いつつ。で、2度目の未来の書き換えはベターエンドになりました。心の自由意志が叶ったことになります。
自由意志や決定論を調べるにあたって、USの特に若年層に個人の自由を徹底的に追求する「リバタリアン(自由至上主義者)」が存在感を増しているということを知りました。父と家族のためとはいえ、決定していることを塗り替えた心はリバタリアンの象徴なのかもしれません。違う視点から見ると、現在を未来を変えるというのは傲慢な考え方なのかも、という想いも生まれてきます。このドラマ(原作はマンガですね)がどこまでリバタリアニズム的な思想を考慮しているのかは分かりませんが、妻と子どもに勧められたドラマを観て、そんなことを想いました : )